パソコンの悪魔F
 “あおくろ”の本名が判明した日の夜。
 良子がベットに寝転がっていると、不意に携帯の着信が鳴り響いた。
 マナーモードにしているはずなのに大音量で響く着信音。
 表示されたのは666から始まるありえない番号。
 良子が通話ボタンを押すと、案の定、悪魔のチャラついた声が聞こえてくる。

 『うぃー。良子ちゃん久しぶり!元気ー?いやぁ、今日、爆睡してっ時にいきなりいーちゃんが帰って来たからビックリしたよ!寝惚けてて最初なに言ってんのかわかんなかったわ』

 良子はなんだかぐったりとしてしまう。

 「何?寝てたの?まぁ、早朝だったし、寝てて当然だけど」
 『おぅ?なんだか不機嫌だねぇい』
 「寝不足だからよ。それで?連絡してきたって事は何か進展したの?」

 早く用件を聞いておかないと無駄話をし続けそうな雰囲気だったので、良子は悪魔に先を促す。正直な話、徹夜明けでも休まずに学校に行っていたのですでに眠たい。
 悪魔は聞きたい?聞きたい?などと散々うざったい事をきいた後、本来の用件を口にする。

 『良子ちゃんが“あおくろ”の本名を手に入れてくれたじゃん?俺っちに本名が知られるって事は、全ての情報が丸裸にされるって事なんだわ。例えば?ホームページの管理者アカウントがわかれば、そいつのページを好き勝手改竄する事も可能!ってわ・け。とりあえず、良子ちゃん、パソコン開いて『私立、お嬢様斡旋学院』って“あおくろ”のやってるページ見てみてみそ?』

 悪魔に言われるがまま、重たい体を起こして、良子はパソコンの前に座る。
 ブラウザを開き、『私立、お嬢様斡旋学院』のURLを入力する。
 品の無い、欲望を売買するためのシンプルだけど、生々しいホームページ。
 ――だった。

 「ちょ、ちょっと!なななななな、なにこれぇ!」
 『私立、お嬢様斡旋学院』のページを開いた瞬間、良子は顔を真っ赤にして悲鳴を上げた。

 電話の向こうから悪魔が大笑いしている声が聞こえる。

 『ギャカカカカ。どうよ?最高でしょ?“あおくろ”本人の写真が手に入ったからさ!M字開脚してるおっさんの写真に貼り付けてやっちった。いやぁ、アイコラすんの初めてだったけど、どーよ?上手くできてるっしょ!』
 「最低……」

 良子は汚らわしいものを見るように画面に表示されているものを見た。
 悪魔の言うように、全面に“あおくろ”らしき男の顔写真を使ったアイコラ画像。ご丁寧に【男女問わず、何時でも貴方の欲望受け止めます☆】の煽り文と共に、おそらく“あおくろ”のものだと思われる携帯番号とメールアドレスがページの下部に表示されている。
 悪趣味極まりない。

 『ギャハハハ!きっと今ごろ、悪戯電話とか、真剣《まじ》もんの変態さんからの熱いコールがバリバリ届いてきてるだろうぜ!』

 電話の向こうで愉しそうに笑っている悪魔に、良子はぐったりした声で問いかける。

 「確かに酷いけど、これだけじゃ悪戯レベルで大打撃とは言えないわ」

 こんなもの、気づいたらすぐにホームページを閉鎖してしまえばいい事だ。携帯の番号やアドレスだって変えてしまえば済むことだ。
 良子の問いに、悪魔は先程までの無邪気に喜んでいる笑い声を消した。
 一拍置いてから聞こえた悪魔の声は、害意に満ち溢れた禍々しく愉しそうな笑い声。

 『良子ちゃん、そんなこと言ってたら天使にだって笑われちまうぜ。これだけ?まさか!俺は悪魔よ?関わるものには厄災を!百害あって一利無しの悪魔様よ?ホームページの改竄なんて、こんなもんそれこそただの悪戯、戯れの産物っすよ。いいかい?今の社会はねぇ、あらゆるものがデジタル化され、ネットワーク化され、管理されてんのよ。まぁ、神様だってこんな便利なもんがあったら使うだろうな。もはやデジタルに関わらずに生きていくことは不可能、ネットを使わなかったり、パソコンを持っていなくても、身の回りのものはデジタル化され情報化されちゃってんの』

 良子はハッとする。確かに役所でも一般企業でもパソコンで情報管理を行っている。それこそ、学校の成績だってパソコンで管理されているだろう。
 情報をネットワーク化することによって、情報の共有化や半永久的な情報の保存。ネットがなければ考えられなかったような利便性の恩恵を今の自分たちは受けている。
 反面、細かい情報ですら、膨大な情報の網に飲み込まれ、意図的に断ち切らない限りはそこからは抜け出すことができない。
 それに、管理された情報が流出した時の危険性に常に晒されている。
 流出してしまった情報が悪意を持って利用されてしまったらどうなるのか。
 その問いに答えるように悪魔は凄惨な結果の報告を始める。

 『そうだな、わかりやすいところで言えば、銀行の口座番号や暗証番号。そいつを使って“あおくろ”の銀行口座の残高をゼロにしちゃった』

 人が積み上げてきたものを一瞬でゼロにしたことを何でもない事かのように悪魔は言う。
 そして、愉しそうに笑う。

 『でもって、クレジットカードあるでしょ?その番号ぶっこ抜いて、ものすげぇ、買い物してやった。全カード、限度額MAX!電子マネーにも手を出してやったんだけど、今って凄いね!電子マネーの闇金まであんのね。うはっ、キマシタって思って数社から“あおくろ”名義で借りてやった。それぞれ300万。そうだね一週間後には3億ぐらいにはなってんじゃね?トゴだから。あーっと、闇金で思い出した。とりあえず、そういう裏家業?ヤクザ的なモンの情報。地価カジノの場所とか裏風俗の場所とか、物の取引場所とかね。そんなんを全部、警察に告ってやった。俺ってば、まじ正義の味方!もちろん“あおくろ”の本名でだけど!あいつ知ら無いうちに表彰モン!で、そしたら逆にヤクザ屋さんは怒るじゃん?誰がチクったんだって。もちろん俺なんだけど。闇には闇のネットワークがあるからさ、ヤクザには密告者として“あおくろ”の住所、氏名、年齢、もろもろ情報提供してあげた。うん、俺ってば親切ぅ。あ、それと別にその闇のネットワークってやつでドラックを手当たり次第“あおくろ”の名前で買い込んだから当局にも目ぇつけられてんじゃね?まぁ、他にも?変態的な書き込みをあらゆるところに書き込んだり。あいつのパソコン自体にウィルス送り込んだり。細かいとこ上げたらキリがないんだけど、いろんなとこから借金とか恨みとかヘタすりゃ命まで狙われてっから援助交際の斡旋なんてしてる場合でないんでない?脅迫のネタがあろうが無かろうがそれどころじゃないだろうからね。社会的にも、金銭的にも、信用的にも、法的にも、裏の業界的にも“あおくろ”は、終わりだよ』

 そこまでいうと悪魔は笑うのをやめた。
 そして、何の感情もない空っぽな声で宣告する。
 悪魔の宣告――

 『つまり、奴は破滅した』

 ――破滅。シンプルな一言がゾッとするほど虚しく響いた。


 「……っ…………」


 どこかの、おそらくマンションの一室、良子はソファに座らされ、男達に囲まれている。
 入り口を塞ぐように一人、良子を見張るように左右に一人ずつと、正面に一人。
 部屋には不穏な空気が流れ、良子は否応無しに身の危険を感じさせられる。
 良子の正面の椅子に腰掛ている男――“あおくろ”が口を開く。

 「無理矢理、拉致って悪いね。だけどさ、アンタのしたことに比べれば可愛いもんだと思うんだ。アンタのおかげで、俺は破滅だ。愚痴の一つも言わせてもらわないと気が収まらなくてね。わかるだろ?」

 良子はそれには答えず。状況を整理する。どうしてこうなったのか。


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