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ワールドコード
「稲森女史との勉学の日々を経て、貴方は答えを導き出す。つまり、自身の身に起きてる現象とその原因。非常識、荒唐無稽、証明不可能、前例皆無の結論ながら、確信を持って断言できる事実で真実。貴方は超能力の存在を理解し、超能力者の存在を認めた。そして、自身が何者かの精神攻撃を受けている。つまり“超能力を扱い、自分を害する敵が存在する”それが貴方が導き出した解答だった。しかし、原因はわかっても理由がわからない。何故、自分が攻撃されるような目にあうのか、犯人は何者なのか。犯人の目的は?一つの解答を得てさらに問題が増えることになってしまった。まぁ、それはそれとして、貴方は自身の考えを稲森女史に報告することにしました。彼女の研究室の中、向かい合って、自身の考えを貴方が口にしたその時―『正解』―空気を震わせず、耳と通さず、脳を掻き回す様に現実感のない声が頭蓋に反響します。と同時に貴方と稲森女史の間、二人の視線に挟まれるように奇怪な存在が現れました―」
樋成は語りながら、自らにもその存在が見えているかのように拳を握り、肩を強張らせ、大粒の汗を垂らしながら悲劇の結末へと話を続ける。
「――それは、真っ赤な赤ん坊、全身の皮を剥がされて、皮膚がぬめり、血管を浮き出させた、ホオズキの様に赤い、紅い、赤ん坊。貴方にとっては久方ぶりの、しかし、忘れようも無い、無理矢理体に染み込まされた、慣れ親しんだ感覚。幻覚の感覚。何者かによる悪意に満ちた精神攻撃、その感覚。しかし、貴方にとっては幻覚を見ていることなどどうでも良かった。貴方が心臓が凍傷を引き起こすような恐怖を感じたのは、幻覚の赤ん坊ではなく、その先の光景、驚きの表情で目を見開き、赤ん坊に視線を落とす稲森女史の姿でした。貴方にしか見えてないはずの幻覚を彼女も同じように見ている。恐慌状態の脳がその事実を理解すると同時に貴方は、叫び声を上げた。嘆きを上げた。懇願した。頭を垂れた。貴方は自身を苦しめていた存在に、憎しみを抱いていた存在に、恨むべき敵に、縋った。許しを請うた。プライドを捨て、信念を消し去り、自分を殺して、無様にはいつくばり、頼み込んだ。涙と鼻水、哀しみでグチャグチャになった顔を地面に擦りつけ慈悲を求めて願って、祈った。そんな貴方に赤ん坊は笑顔を向けた。毛細血管に彩られた真っ赤な笑顔の目も口も、中は真っ黒な闇―
―そして、稲森香は発狂した」
あえて無表情な声色で樋成は過去の事実を語り終えた。
狩野は黙って聞いていた。
狩野は現在ではない何処かに視線を向けていたが、哀しみを閉じ込めるように瞼を落として、瞬間、笑い声を上げる。
憎悪に満ちた、破壊衝動が滲んだ、暴力に溢れた、攻撃的な香を放った、呪いを含んだ、精神を軋ませた、全てを殺し尽くすような笑い声と笑顔。
「そうだよなぁ、相手の目的なんて平和ボケした事考えてたよなぁ、思い出させてくれてありがとよ。そうだよ、そう、確かに!相手は何者か?相手の目的は?そんなどーでもいいこと考えてたよ、でも、あの時、俺は気づいた、奴に理由なんて高尚なもんは無い。目的なんて崇高なもんは無い。ただ、俺を嘲笑い、蔑み、弄びたい。そして、ただそれだけのために、奴は笑いながら稲森を壊した。子供が虫を殺すように、罪悪感も無く、圧倒的に優位な力を他人に対して一方的に行使する存在、そんなクソみてぇなもんがいる事を俺は初めて知ったよ。そして、殺したいと思った。ヤツはもちろん、超能力なんてもんで自分が優位に立ってると信じて疑わない奴らはすべからく敵だ。探し出して、引き摺り下ろして、暴いて、潰して、這い蹲らせてやる。そう誓った」
始めこそ笑っていたものの、最後の方になると、狩野は声に感情を持たせず、意思や目的ではなく、決定事項であるかのようにそう言った。
樋成は場の空気を換えるように大きく手を広げ、笑い声を上げる。
先ほどの狩野とは違い、自信と喜びに満ちた笑い。
「最後をとられてしまいましたが、それが貴方という人間。その後、貴方は病院を強引に退院し、天城の協力を得て、この研究所を設立した。超能力者を、そして、貴方に幻覚を見せ続ける元凶たる人物を狩るために……いかがでしたかな?わたしの語りは、今までの話はいわば貴方の人生の始まりまでのプロローグといったところですかな。もしくは第一部完ッ!といったところでしょう」
樋成は上機嫌に言葉を続ける。
「それにしても稲森女史については自業自得と言わざるをえませんね。確か、現在は隔離病棟で療養中でしたか?当然の結果です。興味本位で超能力者《われわれ》を研究対象とするなど、恐れ多いとは思わなかったのですかな。頭は良くても頭の回らぬ、愚かな―」
ガンッ!
樋成の言葉を叩き潰すように大きな音が響いた。
樋成が音の方に目を向けると狩野が机に拳を叩きつけていた。
狩野の視線が樋成を射抜く。
今までとは種類の異なる怒りをもった視線。
爆発する前の収縮を行っているかのような瞳。
気に食わない事を一つでもしたならば、間違いを一つでも犯したのなら、次の瞬間に命が消えていると思わせる、冷たく暴力的な空気が張り詰めている。
狩野の行動に全く動じる事の無かった樋成は、初めて緊張と恐怖を感じ、大きく喉を鳴らした。
真名は狩野の怒りが爆発的に広がるのを感じて目を覚ました。
まどろみの中、ひどく懐かしく、ゆえに胸を締め付けられるような狩野の感情を嗅いだ。
ベットに横たわったまま、真名がうっすらと目を開くと、視界の先でミハエルがなにやらプリンターから吐き出される紙をまとめている。
真名は上体を起こして、ベットの上に座ると、小さくあくびをした。
「あぁ、起きたの?」
ミハエルがプリントの束を揃えながら真名に声をかけた。
真名は答えずにぼんやりとした視線を返す。
「真名も寝ないで見てれば良かったのに、狩野の過去が色々聞けて面白かったよ」
ミハエルの言葉に、真名は無言で首を左右に振った。
「まだ、寝ぼけてるみたいだね……稲森香って知ってる?」
「…………名前ぐらいは」
寝ぼけた顔のままで真名は少し眉を寄せた。
真名の表情の変化を見てミハエルはイタズラっぽく笑う。
「狩野がさ、自分の話の時はいつも通りで聞いてたくせに、稲森って人が馬鹿にされた途端、見たことも無いレベルでキレてさ、きっと、狩野にとってすごい大事な人なんだろうね、稲森って人」
「私や、ミハエル君でも、狩野さんはあんな風に怒るよ」
予想外な真名の言葉に、ミハエルは言葉に詰まってしまった。
少しの静寂。
動揺を隠せないまま、ミハエルは言葉を出す。
「言ったのが?」
「馬鹿にされたのがだよ」
真名は特に興味の無さそうに寝ぼけ眼のまま、ゆっくりと立ち上がり部屋から出ようとする。
「ま、真名っ、どこ行くの?」
「……トイレ」
本当に起きているのか疑わしいほどぼんやりとした動きでドアノブに手をかける真名をミハエルは慌てて呼び止める。
ミハエルは束ねていたプリントの束をホチキスで閉じると、それを真名に手渡す。
「それなら、ついでにコレを渡してきてよ」
真名は無言で頷くと、プリントの内容を一文字も見ずに、手に取って、部屋から出て行った。
「物凄い寝ぼけてるけど、大丈夫かな」
ミハエルは意味の無い独り言を呟いて、PCの画面に向かう。
(狩野が怒る?……あんなふうに?……僕達のために?)
ミハエルは無意識にキーボードを指で叩く、画面上に無意味な文字群が羅列されていった。
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