ワールドコード :3-24
 「間違いないのか?」
 『狩野ESP研究所』のミハエルの住居と化している仮眠室で、狩野は思わず身を乗りだす。
 「間違いないよ。裏も取ったし、ソースも確かだ。ほら」

 ミハエルは顔の横に身を乗り出している狩野に、パソコンの画面を指し示す。
 食い入るように見つめる狩野の目は情報を拾い集めようとせわしなく動き回る。
 そこにはミハエルが区内の病院のデータベースをハッキングして得た一つのカルテ――谷島明正《たにじまあきまさ》なる人物の死亡報告書。

 「『七代目黒澤組』組長、黒澤明正《くろさわあきまさ》の本名は谷島明正。組長を継いで、通例的に黒澤姓を名乗ってる。塔堂さんのヤクザ講座の中でもでてきたしね。戸籍も確認済み。塔堂さんの地獄の一晩が無駄にならなくて本当に良かったよ」

 溜息を吐きながら、ミハエルは別ウィンドウに黒澤明正の戸籍を表示する。

 「で、問題はここ。谷島明正の死亡日時だ」

 ミハエルの指差す、谷島明正の死亡報告書の日時を見て、狩野は確かめるように呟く。

 「組長の命令で黒澤英太は研究所にきた。理由は前日に射概が組長の枕元に立ってたからだ」
 「そう、前日に組長が射概を見たはずなんだ。だけど――」

 黒澤明正もとい谷島明正の死亡報告書に刻まれた日時は、それとは大きくかけ離れていた。

 「――実際は、黒澤英太が研究所に訪れる一ヶ月以上も前に谷島明正は死んでいる」
 「つまり、黒澤《やつ》は噓を吐いていた」

 狩野の中で今回の件の前提が大きく崩れる。わかってはいたが、真名が射概は刑務所から出ていないと言っていたのは本当だった。黒澤は組長の死を隠し、射概の目撃情報を捏造して、狩野に仕事を依頼した。

 「理由があるはずだ。何故、奴が他の組との連合話に問題を生じさせてまで射概の存在を持ち出し、俺に話を持ってきたのか」

 狩野はいくつか立てていた仮説に、新しい事実を重ね合わせる。
 答えに近づいているのを感じる。それには後一押し。

 「俺と真名がクソジジイと会ってる時の監視カメラの映像を出してみろ」
 「そんなのないよ」
 「あぁ?なんで?刑務所の監視カメラの映像をパクってあんじゃねぇのかよ」
 「だって狩野は高瀬明に無理言って、非公式に射概玄十郎と面会したんだろ?記録に残んないようにその時間、監視装置は全て切られてたんだよ」

 そう言ってミハエルは一つの監視映像の再生を始める。
 暗転から映った牢屋の中には射概の姿はなく、慌てふためく看守達の姿だけがあった。
 最後のダメ押し。半ば予想していた最後の欠片は、結論までの道を完成させる。
 黒澤の噓。切られていた刑務所の監視装置。射概の脱走。追跡時の射概の移動。墓を前にしてのやり取り。暗いホテルの部屋に突然現れた射概。脱走後に捕らえられた監視カメラの映像。
 狩野は笑う。獲物を追い詰めた狩人よりも残虐に。

 「観察者効果って知ってるか?」
 「なんだよ唐突に、観察する事それ自体が観察される現象に変化を与えるって事だろ?まぁ、文脈によって大分変わるけど、誤用も多いし」

 怪訝に答えるミハエルに狩野は楽しそうに笑って返す。

 「それでいうと、この場合むしろ誤用の方が正しいのかもしれないけどな」
 「うわ、もったいぶるなよ。死ねばいいのに」
 「今までの監視カメラの映像の中に、射概が瞬間移動する瞬間の映像が一つでもあったか?」

 狩野の言葉に打たれたように、ミハエルは急いで今まで収集した監視カメラの映像を確認する。
 画面を埋め尽くすように開かれた数多のウィンドウの中で、映像が目にもとまらぬ速さで再生される。
 何百時間もの映像をものの数分で見終わり、ミハエルは驚愕の声を漏らす。

 「本当だ……狩野の言った通り……一つも無い」

 監視カメラの映像は全て、カメラの撮影範囲内を移動しているものだった。

 「威嚇や、脱走の事実を誇示するためならむしろ瞬間移動を見せるべきだろ?なのにジジイは走ってる」

 ミハエルは念のため安蔵《あぐら》刑務所内の熱感知や重量感知装置などの最新設備のデータもチェックする――結果は同じ。
 観測されてる間に射概が瞬間移動した記録は存在しない。

 「つまりだ。射概は出なかったんじゃなくて出れなかった。刑務所内ではバッチリ監視、観察されてたからな。黒澤は俺が行くことで監視装置が切られることを見越していた。奴は俺に射概を監視させるためじゃなく、脱獄させるために刑務所に行かせたんだ」

 それが、黒澤が狩野に仕事の依頼をし、射概に会わせた本当の理由。
 複雑に絡み合った思惑の網から抜け、全体像を捉えた狩野は怒りに笑った。

 「もともと信じちゃいなかったが、こうまで、噓だらけだと――笑えてくるぜ」

 謎は解けた。射概の能力も、黒澤の思惑も、そして今回の件を支配するその裏も。しかし、いや、だからこそ狩野の怒りは頂点に達していた。
 射概を捕まえて、はい終わりでは狩野の腹の虫が納まらない。
 どうしてやろうかと狩野が考え始めたところで、研究所の入り口のほうから怒鳴り込んでくる声が仮眠室のドア越しに響いた。


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