ワールドコード :3-31
 安蔵《あぐら》刑務所地下、あるはずのない牢屋の前に狩野恭一は立っていた。
 強化ガラスを挟んだ向こう側には、一人の青年と刑務所とは思えないほど設備の整った部屋。

 「随分と豪華な部屋に住んでるじゃねぇか。まるでホテルの一室だ」

 真っ暗な廊下の中で浮かび上がるその部屋は、水族館の水槽を思わせた。
 弱肉強食の世界から隔離された、小さくて平穏な世界。

 「未来の情報となら何でも交換できますよ」

 青年は牢の中にいながら、その能力を交渉材料に特別待遇を受けているらしい。
 狩野の来訪に意外そうな表情を浮かべていたが、今は落ち着きを取り戻したのか余裕のある声で青年はそう語る。
 腐りきった刑務所の体制と、自らの超能力を利用して特別待遇を受ける青年。どちらも唾棄すべきものだ。
 狩野は無意識に憎悪と怒りを声に滲ませ、意識的に青年を嘲るような色を出す。

 「咲見連《さきみれん》、国際的テロ組織の元リーダー。いるはずのないテロリスト。逮捕と同時にその存在は抹消され、記録に残らず、刑務所の図面にはない地下牢に秘密裏に投獄されている。自称予知超能力者」
 「消されているはずの記録をよく調べられましたね。狩野さん」

 狩野が調べてきたのと同様に、咲見も調べていたらしく、狩野の名前を口にする。

 「そういうのが得意なガキがいるんだよ」
 「だけど、間違いが一つありますね。自称じゃなくて予知能力者です」

 穏やかに、しかし、そこだけはゆずれないというように咲見は自らを超能力者だと名乗る。

 「それにしちゃあ、さっきは随分と驚いてたみてぇだが、俺が来るのは予知できなかったのか?」

 挑発するような狩野の態度にも咲見は穏やかな顔を崩さない。

 「僕の力は予知能力というより選択による結果の高度なシミュレーションみたいなものですから。それでも外すことは滅多にありませんが、今回のように色んな思惑が絡み合っている場合精度が落ちます。あなた達のような不確定要素もありましたし。それでも結果は変わりませんがね」
 「俺がてめぇの前にいるのは誤差の範囲だってか」
 「僕の予知した結果は黒澤組の壊滅と、“バースデイ”の出回らない未来ですから」
 「ほぅ、そのためなら何でもするってわけか」

 言質をとった悪魔のように狩野は笑う。未来を思い通りにできると思い上がるその魂を刈り取る。
 咲見の顔からは穏やかさが消え、訝しげにその眉が顰められる。

 「何が言いたいんですか?」
 「だからよ。てめぇは予知した未来が実現するためなら、そのためなら何でもすると、誰が死んでもかまわないと、そういうことだろ?」

 狩野の言葉に、咲見は立ち上がる。その顔に穏やかさはない。信念を侮辱され、誇りを汚された怒りに顔を染め真っ赤に叫ぶ。

 「何が言いたい!僕は僕の力で一人でも多くの人が幸せになれるように未来を選んできた!僕は最良の選択肢を、世界にとって最良の選択を予知しているんだ!」

 咲見の信念のこもった真っ直ぐな答え、善意と理想に満ちた叫びを、狩野はせせら笑う。破って捨ててゴミくずに変える。

 「世界にとって最良の選択?笑わせんな。そんなん誰が望んだって言うんだ。お前が勝手に望んだ世界だ!」
 「違う!僕は世界にとって最良の選択をしてるんだ!それは僕にしかできない!だからこそ僕が選び取り実現しなけりゃいけないんだ!」
 「そうかい。てめぇは、自分が最良の世界を選んで、つくってるって言うんだな」
 「その通りだ!僕が導いているんだ!」

 狩野は懐から一枚の紙を取り出し広げる。

 「それなら、やっぱり、てめぇは自称予知能力者だ」

 咲見の声が詰まり、動きが止まる。その目の先には一枚の紙。
 その紙に印刷されているのは、安蔵刑務所からの通話記録。

 「面会も電話も禁止され、外部との接触を完全に断たれてるこの刑務所で、あるはずのない通話記録がここにある」

 通話記録には安蔵刑務所からどこに電話をかけたか。その番号が載っている。

 「で、問題はこの番号。ここ数日、頻繁にかけられているこの番号だ」

 狩野は数字を読み上げる。咲見はその姿をじっと睨みつけるが、何も言わない。

 「この番号がどこに繋がるかわかるよな?」

 言って狩野は、懐から名刺を取り出し、叩きつけるように強化ガラスに貼り付ける。

 「黒澤組のフロント企業だ」

 咲見の側からよく見えるように押し付けられた名刺の表には“(株)黒澤参画会 常務 黒澤英太《くろさわえいた》”の文字。

 「“未来の情報となら何でも交換できる”んだっけ?だったら電話をかけることぐれぇ簡単だよなぁ?」

 狩野が手を離すと、押し付けられていた名刺がギロチンの刃のようにストンと落ちる。

 「電話の日付は射概が脱走する5日前。脱走当日。その二日後。射概が黒澤に捕まった日。それに今日」

 狩野はこれまでの仕返しのように、通話記録の紙を弄ぶ。

 「つまり、てめぇは射概を唆し、黒澤に指示して、てめぇが全部裏で糸引いて、てめぇの言う最良の未来の実現のために利用してたって訳だ。予知能力者が聞いて呆れるぜ」

 狩野は紙から手を離し、床に落ちたそれを踏みつける。
 咲見はそれを見つめていたが、次に顔を上げたときには怒りとも、焦りともつかない表情を浮かべていた。

 「その通りですよ。未来は選択によって変わっていきますから、その都度、その先を選び取らないとなりません。僕は最良の未来のための選択を教えたに過ぎません。それがどうしたって言うんですか!そんなことで僕を詐欺師呼ばわりですか?」
 「そんなことはしねぇよ。てめぇは確かに予知能力があるんだろう。そうじゃなきゃ説明できないことも多いしな。それに――ただの詐欺師は俺の敵じゃない」

 強化ガラスが隔てていなければ今にも襲い掛かりそうな笑顔を狩野は見せる。

 「俺の敵は超能力者だ」

 咲見が思わず、後ずさりしてしまうほどの憎悪に満ちた声と狂気の瞳で狩野は獰猛に牙を剥く。

 「てめぇらは、自分が特別だと思ってやがる。そして、他人を浪費する。“最良の未来”?その選択のためにどれだけ他人を犠牲にしてきた」

 狩野の指摘に、咲見の顔が怒りに染まる――頬が引きつり、独裁者の最後のように目を血走らせる。

 「僕は世界にとって最良の選択をしてきた!一人でも多くの人が笑いあって生きていける世界の為に!一人でも多くの人が悲しむ事のない世界を!僕は全ての人にとって最良の世界を創りたかった。それが特別な力を持つ僕の義務であり、使命なんだ!」
 「だから射概を見捨てて、黒澤を殺すのか?」
 「しかたないんだ!それが正しいことなんだ!」

 演説する革命家のように口角から泡を飛ばす咲見を見て、狩野は苦笑いをこぼす。

 「最低だよ。大義を掲げ、正義を振りかざし、自分の理想のためなら何をしてもいいと思ってやがる。“最良の世界”だ?お前にとって最良なだけだろう?犠牲になった人間にとっては最悪の世界だ」
 「それがみんなのためだ!」
 「みんな?みんなのために一人が死ぬのか?一人のためにみんなが動くのが世界ってもんじゃねぇのかよ」
 「そんなのは理想論だ!机上の空論、夢物語だ」
 「最初に理想をぶち上げたのはお前だろ」

 頭を抱え込む咲見を見て狩野は溜息をつく。

 「まぁ、俺に理想なんてもんはねぇよ。だけど、てめぇみてぇな奴は許せねぇ、自分の正しさを信じて疑わない奴には反吐が出る。犠牲を厭わず、人の信念を弄び、運命を捻じ曲げ、人生を玩具にしやがって!そんな選択は認めねぇ。お前の望むくだらない未来なんざ変えてやる」

 狩野の言葉に、咲見は顔をあげる。

 「やめろ……未来を変えるな……何をする気だ!」

 怯えを顔中に広げ、あせる咲見を見て狩野は口の端を歪める。愉快そうに、嬉しそうに、残酷に――

 「俺は超能力者《てめぇら》が大嫌いだからよ。嫌がらせだよ。嫌がらせ。射概のジジイの復讐も、黒澤の腐った欲望も、てめぇが積み上げてきたことも」

 ――伝える。

 「何もかも全部、台無しにしてやる」


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