3-4 :ワールドコード

 「申し遅れました。私、黒澤と申します」

 眼鏡をかけた長身の男はそう名乗ると自らの名刺を机の上に置いた。
 ソファに腰掛けて微笑んでいる黒澤の後ろには、あとの二人が直立不動で立ち控え、威圧感を放っている。
 が、黒澤の向かいのソファに座る狩野はそんなことお構いなしに、隣に座る黒江に文句をつけていた。

 「つーか、なんでお前までいんの?掃いても掃いてもゴミが飛ばされてくるビル前の無限清掃でもしてろよ。ゴミみてぇに邪魔くせぇ」
 「いやいや、あちらはゴリマッチョを二人も連れてるんですよ?ならば私もアニキの付き人として役目を果たさなきゃなりません!」

 黒江は無遠慮に、黒澤の後ろに控える強面二人を指差しながら主張した。
 強面二人のこめかみに血管が浮き上がりひくつく。
 強面二人が放つ威圧感に怒気が混ざるも、狩野は見向きもしない。

 「あぁ?あっちは頭突きで石が割れそうなハゲと胸毛がもっさり生えてそうなゴリラだぞ。そんな奴ら相手にお前がなんの役に立つって言うんだよ。盾にもなりゃしねーよ」
 「何言ってるんですかアニキ!私、お茶出したじゃないですか!まったく、アニキは客人にお茶の一つも出さないんですから、ほら私、役に立ってる!」
 「なんだそりゃ、どうでもいいわ!そもそもこんな奴らに茶なんて出す必要ねぇんだよ!とっとと追っ払って俺ぁ、寝たいんだよ」

 褒めて褒めてと目で訴えかける黒江に対して、狩野はうざったそうに顔を顰めて、黒江の頬っぺたをつねる。

 「いひゃい、いひゃいれすアニキ。こんなやつらでも、お客さんなんですから、お茶ぐらい出さないと、しかし、安心してください。お茶菓子は出してませんよ!」
 「何、キリッ!みたいな顔してんだよ。うざってえな。はいはい、役に立った。役に立った。役に立ったからとっとと失せろ。つーか隣に座んな、狭めぇ、邪魔くせぇ」
 「役に立ったのに、つねられてるってのはどういうことですかアニキ!きちんと頭を撫でてもらうまで私は動きませんよって、いひゃい!いひゃい!」
 「てめぇら!いつまでもふざけてんじゃねぇぞ!あんまり調子こいてっと黙らせんぞ!」

 はたから見るとじゃれついてる様にしか見えない狩野たちに対して、我慢の限界とばかりに黒澤の付き人の一人が怒声を上げた。
 狩野は鼻で笑って、座りながら立っている人間を見下すという器用な態度をとる。

 「あん?黙らせるってなんだ?付き人Aのくせに調子こいてんじゃねぇぞ。やれるモンならやってみろゴリラ。もしくは動物園に帰れ」

 狩野の挑発に付き人Aのゴリラは怒りに拳を震わせ、怒りで血走った眼を狩野に向ける。

 「てめぇ……極道なめてっと……」
 「やめろ、井口」

 今の今まで黙っていた黒澤が笑みを消し、鋭い声を上げる。凄みのある声が名指しされた付き人をひるませる。

 「しかし、若頭……」
 「常務だ井口、静かにしてろ」

 黒澤の冷徹な声色に叱咤され、井口は口を噤むしかなかった。
 黒澤達のやり取りをニヤニヤ眺めながらも、目線や口元、表情で狩野は井口に対して挑発を続ける。
 そんな狩野を見て黒澤は苦笑いを零す。

 「勘弁してやって下さい。うちの若いもんは血気盛んなもので」

 曰く、これ以上は血を見ることになる。
 黒澤の台詞から言外に含まれた意味を感じ取って狩野は肩をすくめる。
 狩野は先程から置きっぱなしにされている黒澤の名刺を手に取る。

 “(株)黒澤参画会 常務 黒澤英太《くろさわえいた》”

 (黒澤組のフロント企業か。井口ってゴリラも言ってたが、常務=若頭ってことだろうな)

 狩野は名刺から相手を推し量る。
 指定暴力団『七代目黒澤組』。この街を古くから仕切る暴力団で、数多くの傘下を持つ。

 (確か組長は、黒澤明正《くろさわあきまさ》だかなんだかだったか。ってことは、その息子か親族……随分と大物が出てきたな)

 狩野は名刺を無造作に投げ捨てる。

 「で?お偉いさんが何の用だ?ショバ代でもせびりに来たのか?おあいにく様だが、てめぇらにやる小遣いはねぇよ」

 帰れ、と手を振る狩野に黒澤は困ったような笑みを向けるが、立ち上がるそぶりは無い。

 「今日は純粋に仕事の依頼ですよ。それに、ご心配なさらずとも塔堂さんのとこに我々は手出しできません」

 そういう決まりですから、と付け加えて、黒澤は一瞬だけ黒江に視線を向けた。
 黒江は先程、狩野が放った黒澤の名刺を拾ったらしく、まるで芸能人のサインであるかのように瞳を輝かせながらそれを見つめている。
 狩野はとりあえず黒江の頭にチョップして話を先に進める。

 「仕事ねぇ、確か法律だか条令だかで、お前らみたいのから仕事もらっちゃいけなくなんなかったっけ?」
 「それなら“お願い”という形にしましょう。もちろん“お願い”なんですから聞いてもらえるのであれば“お礼”はさせて頂きますよ」

 そう言って、黒澤は懐から封筒を取り出し、応接机の上に置くと丁寧にそれを狩野の前に滑らせる。
 黒澤の目が封筒の中身を語っていた。
 黒澤は意味ありげに頷くと、狩野の反応を待たずに話を続ける。

 「狩野さんの言う通り、我々の業界は今、法律やら条令やらで、肩身が狭くてね。非常に商売がしづらいんですよ。そこで、同じ業種のものが集まってね、協力し合おうって事になったんですよ。連合、まぁ、4つの組で組合をつくろうって話です。北の赤橋組と喜渡瀬組、東山の蒼嶺会、そして我々。それぞれの系列の組を含めれば、関東から北は我々の新しい連合が取り仕切る事になる」
 「若っ」

 黒澤の話に、井口とは別の付き人が思わずといった様子で口を挟んだ。
 目は狩野から外さないまま、それを手で制して黒澤は微笑む。

 「高橋、心配しなくても大丈夫だ。そうでしょう?狩野さん」

 黒澤の瞳は微動だにせず狩野の姿を捕らえ続ける。
 黒澤の言葉に、狩野は舌打ちする。

 (やられた。口外できない計画を話すことによって、俺が断れない様にしやがった)

 口外できない計画を聞かされることによって、狩野は強制的に共犯関係に組み込まれる形になってしまった。
 黒澤の話は自分達が何者であるか隠そうとすらしていなかったが、直接的なことは何一つ言っていない。
 しかし、明らかには語られていないその真意は、確かに脅迫だった。
 黒澤は自分達の存在を示し、弱みを貸し付け、それを相手の弱みに変えた。
 つまり、秘密を知った人間はただじゃ済まない。逃れる方法はその軍門に下る事。
 黒澤の口が片方に嫌らしく歪められる。

 (実際、この状況で断れば、どんな難癖つけられるかわかったもんじゃねぇ。万が一、計画に支障が起きれば俺も容疑者に上げられ、下手すりゃ人柱。東京湾か富士の樹海か)

 諦めたように、呆れたような溜息を吐いて、狩野は黒澤に強い視線を向ける。
 その視線に黒澤は晴れ晴れとした爽やかな笑顔で応える。

 「話が早くて助かります。まぁ、それで組同士の話し合いを進めてきたんですが、ようやくそれぞれの提示していた条件に折り合いがつきましてね。近々、組の代表が集まって正式に盃を交わす段取りになっているんですよ」
 「そいつは良かった。おめでとさん」

 どうでもよさそうに返す狩野に対して、黒澤は表情を真剣なものへと変える。
 笑顔を消した黒澤は話の本題を話し始める。

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