【豆腐の作り方】
豆乳を70℃〜75℃に熱し、にがりを加え、木ベラでゆっくりと攪拌する。
その後、蓋をし、固まるまで10分ほど置く。
固まったら布巾をしいた枠型に入れ、15分ほど重しをする。
たったそれだけの単純な手順ながら、温度管理が非常に難しく、家庭で作る場合それが上手くできず、失敗する事も多い。
「くそがっ!」
俺は机に両の拳を叩きつけた。
弾みで、机の上においていたカップが倒れ、中のお茶が床までこぼれる。あわわわわ。
俺は零れたお茶を拭きながら、叫びだしたい衝動を抑える。
「豆腐ってなんだよっ!」
結局、叫んでしまった。
いや、ホント、豆腐ってなんだよ!モニターに映された真っ白な原稿を眺めながら思う。
俺は新米の物書きだ。新米なので基本、出版社の方針には逆らえず、編集者の決めた内容のものを書かねばどこにも作品を載せることができない。
今回の短編のお題は“豆腐”。
豆腐ってなんだよっ!
俺は詰まっていた。豆腐で短編……何も思いつかない。
作り方を調べても、起源を紐解いてみても、豆腐を使った簡単レシピを検索しても、メーカーに問い合わせてみても、工場を見学しても、種類を羅列しても、有名店の豆腐を買ってみても、実際に作ってみても、写真を撮って観察してみても、何一つアイディアが思い浮かばない。
豆腐について考え続けたせいで、ゲシュタルト崩壊を起こしてきた。
俺の才能は枯れてしまったんだろうか、それとも元からそんなもの無かったのか。
俺は机に倒れこむように頭を抱える。再びカップが倒れ、中の液体が俺の肘を濡らす。
考えろ、考えるんだ、絞り出せ、ひねり出せ。
刻一刻と締め切りの時間が近づいてくる。文字を打てる時間は少しずつだが、確実に減り続けている。
思考しろ、夢想しろ、妄想しろ、脳みそを引っ掻き回せ。
腹がなる。食事を作っている暇など無いが、冷蔵庫には文字通り腐るほど豆腐がある。
醤油をかけるだけですぐ食えるのはこういうとき便利だ。
そうだっ!この利便性を……こう……ダメだ。思いつかない。
気づけば日付が変わってから短針の数字が二つも進んでいる。
早く早く早く早く、急げ急げ急げ急げ。
未だに方向性すら決まっていない。
早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く。
歯をかみ締め、頭を叩く、このポンコツめ。締め切りに間に合わなければ、雑誌に穴が開いてしまう。穴なんてあけたら、俺の物書き人生は終わりだ。
急げ急げ急げ急げ急げ急げ急げ急げ急げ急げ急げ急げ急げ急げ急げ急げ急げ急げ急げ急げ。
発想を変えるんだ。固定観念を捨てろ。自由に柔軟に。
固い頭を柔らかく。
そうさ、それこそ豆腐のように柔らかくだ!
俺は豆腐だ俺は豆腐だ豆腐豆腐豆腐豆腐豆腐豆腐豆腐豆腐豆腐豆腐豆腐豆腐豆腐豆腐豆腐。
「なっ……」
俺は重大な事実に気がついた。
そう、確かに豆腐は柔らかい、しかしどうだ、それは押せば潰れてしまう。弾力性や、柔軟性の無い柔らかさ、つまり、それは――
――脆いのだ。
気がつくと俺は、病院のベットの上にいた。
医者から聞いた話だと、ストレスで胃に穴が開き、ぶっ倒れて、ここに運び込まれたらしい。
まさか、豆腐の事を考えすぎて倒れるとは……そんな奴、世界中にどれだけいるというのか。
アホ臭い。豆腐の事なんか考えるのは止めだ。
雑誌に穴が開こうが、何だろうが知ったことか。
胃に穴を開けてまで、しなきゃいけないようなことじゃないだろ。
そう思うと、途端に気が楽になった。
入院から三日後、予後の進みは順調で、今日から普通の食事が食べられるらしい。
今まではずっと点滴だったから、口に物を入れるのは久しぶりだ。
不味いと評判の病院食だが、それでも嬉しい、とても楽しみだ。
夕食の時間になる。
俺の前に看護師さんがトレーに乗った食事を置いてくれる。
ご飯に味噌汁、かぼちゃの煮物、何かの魚の干物。
そして、冷奴。
俺は、トレーを思いっきりブン投げた。
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