Aサイド.1
 「人の命っていくらだと思う?」
 僕の問いかけに、目の前の男は呆けたような顔をした。
 質問の意味がわからないのか僕がなぜそんな事を聞くのかわからないのか。
 どっちにしても彼の反応は鈍く、頭の回転の悪さを感じさせる。僕の会社の役員であれば即刻解雇にしている。
 しかし、だから彼は今現在、ここでこうして僕と面と向かって座りあっているといえる。
 ここは僕の会社キザキコーポレーションが所有するプライベートオフィスの一室。広い空間に豪奢な装飾、少年時代の僕であれば、今、目の前にいる彼のように目を真ん丸に見開いていただろうが、現在の僕はこの部屋の所有者であり落ち着いたものだ。
 部屋の真ん中に置かれた四人がかりでも運べないような重厚な机を挟んで革張りのしっかりとした大きなソファが置かれている。
 僕と彼はそこに座り、机を挟んで対面している。
 「キザキさんよぅ、あんた何言ってんだ?」
 大分、間をおいてやっと彼が答える。随分と時間をやったのに結局、質問の意味を理解してなかったらしい。
 「人の命の値段だよ。人一人の命の値段さ。いくらだと思う」
 懇切丁寧に説明してやると、一秒も使って彼は噴出した。
 「キザキさん!あんたそんな事聞くために俺を呼んだのかい?」
 馬鹿を見るような目で僕を見ながら彼は大笑いする。質問に質問で返すなよ馬鹿が。
 彼を見た時、僕は驚くほど何も感じなかったが、僕の質問に対する彼の反応には苛立ちを感じる。彼のしてきたことよりも、彼の言動の愚鈍さ、程度の低さが、僕を苛立たせる。
 「言い方を変えよう。人はいくらなら死ねる?もしくはいくらなら人を殺しても許される?」
 彼が理解するまで問答を続けるしかないかと諦めた僕の言葉に、彼は急に態度を白けたものに変える。目を細め、体を警戒させ、声を低く冷たいものにして彼は凄む。
 「キザキさんよぉ、俺に恩を売るつもりか?確かにあんたが俺の罪を買ったおかげで助かったけどよぉ。別に俺が頼んだわけじゃねぇんだぜ?」
 どうやら、損得勘定や面子に関わることには頭が回るようだ。しかし、考えが浅いというか世界が狭いというか。トップ企業の社長である僕が、マフィアのボスならまだしもただのごろつきに恩を売って何の得があるって言うんだ。
 彼を助けて、ここに呼んだ理由は他にある。
 僕はこの一年、探偵を雇いずっと彼を探していた。
 彼の名はコガ=ヨウシュウ、49歳。スラム街にすむ宿無しだ。スラムに住み着く多くの浮浪者同様、彼も恐喝や、窃盗、時には強盗殺人を犯して金を稼ぎ酒とギャンブルに消してしまうろくでなしの一人だ。
 僕がコガを見つけたとき、彼は裁判台に立っていた。
 生存窃盗や同種恐喝といった軽い罪が多かったが、捕まった原因も含め3件の強盗殺人の罪に問われており、懲役67年の判決が彼に下った。
 生存権利期間100年からコガの年齢を引くと51年、懲役刑の生存権利期間超過による“懲役超過者処分制度”の適用が決定してしまう。
 僕は急いで“罪罰換金法”に基づく手続きを行い。コガの懲役年数を買い取り、彼を無罪放免にした。
 そして、状況を理解していないコガを部下に迎えに行かせ、今こうして向かい合っている。
 僕が助けなければ処分されていたというのに、都合のいいことしか理解できない言い換えれば都合の悪いことは覚えることもできないのか。コガは命の恩人を前にしてふんぞり返っている。
 「キザキさんよぉ、あんたみたいな金持ちは何でもかんでも金で解決しちまうんだろうが、そいつは良くないぜぇ、いいか?世の中には金で買えねぇもんもある。例えば、人の命なんてのは金には換えられないものだろう?」
 どんな思考回路をしていればそんな事がいえるのか。なぜこいつは偉そうに僕に説教したつもりで満足げにしているのだろう。
 まぁ、そんな答えが返ってくるとは思わなかったが、どうせ深くは考えていないのだろうし、僕も僕で質問自体に意味はない。
 何故なら、コガが何を言おうが僕の意見は変わらないし、僕がすることも変わらない。
 上手い返しをしたと勘違いして笑うコガを黙らせるように僕は冷たく言い放つ。
 「人の命は三万円だ」
 冷や水を浴びせられて気分を害したのか、コガは押し黙り、何を言ってるんだこいつはといった目を僕に向ける。
 僕は静かに語り始める。冷静に、何の感情も無く言葉を出せる自分が不思議だった。
 「人の命は3万円だ。そんなもんかと思うかい?そんなもんさ。人の命は安い。3万程度でも死ぬし、殺される。
 「こんな話がある。昔、あるところに一人の男がいた。彼は妻子のために朝から晩まで身を粉にして働いた。しかし、不況の中にあって仕事は上手くいかず、賃金は上がらず、家計は火の車で妻子を食わしていくのがやっとの貧乏生活、それでも妻は彼を支え、子は父である彼を慕っていた。
 「貧乏ながらも心を通わせあった幸せな家庭。しかし、男は贅沢をさせてやれない自分に負い目を感じ、稼ぎの少ない自分を情けなく思っていた。まぁ、男なんてそんなもんだろう。
 「だからこそ、彼は子供が10歳の誕生日を迎えるときは豪勢に祝ってやろうと決めていた。そのために彼は煙草をやめ、昼飯を抜き、付き合いを断り、なけなしの小遣いを一生懸命、地道にコツコツと貯めていた。
 「子供が10歳の誕生日を迎えるその日、この日を祝うためにこっそりと貯めてきたその金を引き出しに男は銀行に向かう。
 「家族そろってどんな美味しいものを食べようか。子供には何をプレゼントしてあげようか。ずっと欲しがっていたものを買ってやったら喜ぶだろうな。なんて想像を膨らましながら銀行から出る男の顔はとても幸せそうな表情を浮かべていたに違いない。
 「その幸せそうな顔が、街をうろつく強盗には金を持ってるように見えたのだろう。彼は銀行を出てすぐの小道でナイフを突きつけられる。逆らうのは危険だ。金は命には換えられない。
 「彼は金を渡すべきだった。しかし、子供のために貯めたその金は男にとっては命よりも大事なものだった。抵抗する男に逆上した強盗は彼にナイフを突き立てる。強盗は金を奪おうとするが、血を流し、倒れながらも男は金を握り締めて離さない。
 「強盗は時間がかかるのを嫌い。金を諦めその場から逃走する。残された男は助けを呼ぶこともできずに命を落としてしまう。
 「寒空の下、息絶えた男の死体が握り締めていたのは彼が子供のために身を削って貯めた三枚の一万円札だった」
 僕は何度も心の中で反芻していた物語を語り終える。何度も反芻したせいか、慣れて、擦り切れて怒りも湧かず、涙も出ない。それが虚しかった。
 「はっっはぁ?なんだそりゃ?そいつぁ、その男が悪ぃな!ナイフを突きつけられて金を出さねぇなら殺されても文句はいえねぇよ。んなくだらねぇお涙頂戴話より、俺ぁ、腹が減ったぜ!なんか上手いモンでも出してくれよ!」
 「そうか。それなら前菜からだ!」
 僕が何故この話をしたのかわからずに、生理的な欲求を口にするコガに僕は銃弾を打ち込む。
 懐から取り出した拳銃の銃口からはかすかな煙が上がり、部屋中にコガの悲鳴が響き渡る。
 コガの左腕から吹き出す血が部屋を汚していく。
 「畜生!何しやがる!」
 未だに、何一つ理解せずに恨み言を喚くコガの頭の悪さに僕は思わず怒鳴りつける。
 「ピーピーピーピーうるせぇぞ!後で治療してやっから黙ってろ!」
 傷口を押さえながら脂汗を流すコガの顔が恐怖に歪む。
 「なっなななんなんだよあんた!てめぇで撃っといて、ち、治療だと?」
 まったく、馬鹿と話すのは頭にくる。
 「死なせないために決まってるだろう」
 とりあえずもう一発、今度は左足のつま先をふっ飛ばしてやった。
 コガは奇声を上げてソファの上を転げ回る。次は別ブランドのに買い換えよう。
 「いいかい?馬鹿でもわかるように説明してあげるから黙って聞くんだ。さっきの話は覚えてるかな?忘れたのなら何度でもしてあげるから言ってくれ。さっきの話に出てきた男の名前は貴崎健人、僕の父親だ。そして強盗の名前はコガ=ヨウシュウ。君は覚えてないかもしれないけどね」
 「お……俺を殺すのか?」
 コガが歯を食いしばりながら僕を睨みつける。なんだか急に物分りがよくなったな。
 「いずれはそうする。そのために“免罪符”を使ってあんたを助けたんだ」
 “懲役超過者処分制度”で死刑にされたら僕が殺せなくなるからな。
 「い、いずれ?どうゆうことだよ!俺をどうする気だ!」
 だから殺すんだって。本当に理解力がないな。この期に及んでまだ助かるとでも思っているのだろうか。腹立たしい。
 正直、父親の復讐はもはや作業に過ぎない。涙は枯れた。怒りは風化したし、いざこうしていても達成感もない。ただ決めたことだ。この日のために僕は会社を立ち上げ大きくし“免罪符”を買えるようにしてきたのだ。
 僕は父親の最後を心の中で反芻する。
 「あの日から僕にとって人の命は三万円なんだ」
 “罪罰換金法”“懲役年数換金法”“罰則年数相対換金法”によって懲役一年につき売価は300万。コガの懲役は67年。
 「君の懲役の購入額、つまり僕が買った君の命は2億とんで100万円。君には6700回死んでもらう。あぁ、心配しないでくれ。本当に死ぬわけじゃない。死にたいと思うだけだ。今みたいに撃っては治し、撃っては治して6700回目に死んでもらう」
 ゆっくりと馬鹿でも理解できるように嬲り殺しにすることを伝える。
 痛みに憎悪の炎を燃やしてコガが僕を睨みつける。
 「て、てめぇ、そんなことしたら、てめぇも死刑だぞ」
 それは命乞いのつもりか。首を傾げていると、コガが僕を馬鹿にしたように笑う。
 「拷問や監禁は重罪だぜ!循環拷問、愉悦虐待、過剰死は殺人の比じゃねぇ、そんなことすりゃあんたも懲役超過者だ!」
 「全てが適用されるとして452年――13億5600万か。問題ない買える金額だ」
 “免罪符”僕の罪は消えてなくなる。そのために会社を大きくしてきたのだ。
 理解を超えた僕の発言にコガは一瞬動きを止める。
 ショック死したら困るなと思いながら僕が見守っていると、コガは言葉を話す獣のように喚き散らし始めた。
 何を喚いて泣き叫んでいるのかはわからないが、僕に対する恨みだとか社会に対する憎しみだとか世界平和とかについての呪詛を喚き散らしているのだろう。自分自身の行いに対する後悔や嘆きは頭の片隅をよぎりもしない。
 意味がわからないので右大腿部に二発銃弾を打ち込んでやった。
 歯を食いしばる音だけが響いた。
 「今からそんなに喚いているとつかれるぞ。これから僕が君の為に雇った専門家達がやってくる。死にたくても6699回は死ねないんだから」
 予定とアドバイスを告げ部屋を出ようと立ち上がった僕にコガが息も絶え絶えに呪いの言葉を吐きかける。
 痛みに口の中を噛んだのか歯を血に染め、血走った眼で口を歪める。
 「へっ、ケケケてめぇ、地獄に落ちるぜ、法律が許してもなぁ、許されねぇよ。天罰が下るぜ!神罰がなぁ」
 力なきものは神に頼る。せいぜい祈るといい。
 「僕は無心論者だ関係ないさ」
 獣の叫び声にも劣る何かを叫びだしたコガに背を向け、僕は部屋を出る。
 神がいたならこうはならない。
 万が一いても、地獄の沙汰も金次第。“免罪符”でも買うさ。
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