Aサイド.8-3
 東大は倒れていた。
 倒れた際に鼻の頭と右頬をアスファルトに削り取られていたが、痛みは感じない。
 それよりも、後頭部の傷の方が重傷だ。
 命が流れ出ている感触がする。
 傷口から溢れ出る温かい液体は、道路の上に冷たい水溜りをつくる。
 東大の周りを囲む男達。数は3~4人。いや、4~5人かもしれない。
 何しろ、意識を保っているのが精一杯で、頭を上げることすらできない。
 東大の視界に映るのは、襲撃者達の足元だけだ。
 「はっ、まさか、変態新人の囮作戦が、ほんとに成功するとはな……」
 悔し紛れに呟いた一言に、襲撃者の一人が反応する。
 集団から進み出た彼の足は、その動きだけで無能さが感じられるような、軸のぶれた情けないものだった。
 東大の目の前で、足を止めると、頭上から言葉を浴びせかける。
 「なに、わけわかんないこと言ってんスか。ここにくるだろうなと思ってたから、待ってたに決まってるじゃないッスか」
 嘲るような呆れるような声。
 「つーか、まだ、生きてんスか?」
 聞き覚えのあるその声を聞いて、東大は意識を手放した。

indulgentia                   
    サイドA 八章   -Tastes differⅢ-



 朝だ。
 車の中で寝たせいで、凝り固まった体を伸ばす。
 とりあえず、一晩待機してみたけど、東大先輩は帰ってこなかった。
 まさか、冗談で言った囮作戦が成功するとは……いや、失敗したのか。
 何回か東大先輩の携帯にコールしてみても、返ってくるのは。
 『ただいま、電源が入っていないためかかりません』
 死んだかな。たぶん、死んだな。
 東大先輩の冥福を祈りつつ、車のキーを回す。
 一人になってしまったが、それならそれで、この事件の解決に尽力すべきだ。
 そうでないと寝覚めが悪い。
 自分は、空気の澄んでいる朝の道路に排気ガスを巻きながら最寄の警察署に向かった。

 警察署で借りた地図と被害者の資料を特殊待機室の机に広げる。
 東大先輩の言を借りるなら犯人は時間と資金に余裕のある人物。
 東大先輩は免罪符利用の犯罪者について詳しかった。
 金持ちの生態に詳しいと言った方がいいかもしれない。
 報酬の高い犯罪者を検挙して、効率よく金を得るためなのだろう。
 よく研究していた。
 そこに憎しみすら感じられるほどに。
 その東大先輩が言っていたのだから、犯人は金持ちで同一犯。
 まずはその線で当たってみることにしよう。
 広げた地図の上、被害者が失踪したと思われる地点にピンを刺す。
 一人目の男性、二人目の女性と順に指していく。
 六人目の東大先輩は、まぁ、三人目と同じでいいか。
 ピンを刺し終えて、そのピンを中心にそれぞれコンパスで円を描いていく。
 土地勘がある人間の行動範囲だ。
 その円の中に含まれる。会社、邸宅、別荘をピックアップしていく。
 さらに、その中から誘拐殺人かつ快楽殺人6人分の罪を犯しながら、免罪符で罪を逃れることができる財力を持つものをふるいにかける。
 キザキコーポレーション社長、貴崎吉人。
 豪機食研会長、小岩原トニ。
 新宇海運グループ総帥、新宇通太郎。
 どれも、知る人ぞ知る大会社の創始者だ。
 現時点で、捕まったとしても余裕で免罪符を適用できる財力を持つものたち。
 この中に犯人がいるのならば、その目的は何か。
 東大先輩の受け売りではあるけれど――
 ――金で買える物を全て手に入れられるようになった人間は、金で買えないものを欲するようになる。
 例えば、地位や名誉。
 まぁ、これも金で買えなくはないか。
 金で得られる全ての欲望を満たした者の思考。
 金では満たせない欲望。
 それは非合法で、倫理の外にあり、原始的な欲求につながるものだ。
 例えば、人間狩り。カニバリズム。異常性癖。
 人を人として扱わない快楽。
 人だからこそ、その尊厳を奪う悦楽。
 そこまで考えて、携帯の電話帳を開く。
 スリーコール。
 『はいはい。どったの?』
 電話口から寝不足気味の覇気の無い声が聞こえる。
 「真鳥さん。こんな時間に電話口にいるなんて、また家に帰ってないんですか?」
 『こんな時間にかけてくる奴に言われたくはないってばよ……』
 「“偽造人格”をお願いしたいんですが」
 “偽造人格”とは潜入捜査や囮捜査時に使用される偽の身分だ。
 ”偽造”といっても書類上は完璧に存在することになるし、過去の経歴までもが用意される。
 『どんなん?一からは勘弁。そろそろ寝たいからぁ』
 「そうですね……」
 今回の件を一から説明する。用意して欲しい“偽造人格”の設定も伝える。
 『なるほど、なるほどー。んならちょうどいいのがあるよ。すぐ用意するわ』
 「助かります」
 言って、通話を切るとすぐに、メールが届く。
 “偽造人格”の詳細な設定。
 その中から、“偽造人格”のメールアドレスをコピーする。
 特殊待機室に備えられている端末を起動し、容疑者3人のデータを取得。
 その中にあったプライベート用のメールアドレスに、“偽造人格”のアドレスからそれぞれにメールを送る。
 文面は――
 ――“貴方のご趣味に共感するものです。ぜひ、お話をお聞かせいただけないでしょうか”
 こんなところか。
 免罪符を適用できる人間は罪に問われないことから行動が大胆になる傾向がある。
 いってしまえば、いつ捕まってもいいと思っている。
 共通点の無い獲物を狙う美食家。
 同じ獲物を狙わないというのは全てのパターンの獲物を味わいたいという収集欲。
 コレクターは収集したいという欲望と同時に、コレクションを自慢したいという欲望を持っている。
 それが、物であれ、経験であれ、見せびらかしたいのだ。
 罪に問われることだとしても。

 「何にもないか」
 メールを送って待っているだけではなく、その間に違う面からも捜査をするべきだ。
 そう思い、東大先輩が消されたと思わしき現場に戻ってみた。
 背が大きく、目立つ東大先輩の目撃情報は多く、聞き込みをして照らし合わせれば、すぐに失踪したと思われる地点は判明した。
 そこまでは良かったのだが、現場には大量の血液が拭われたような跡があるだけ。
 ダイイングメッセージのような手がかりはなに一つ残されてはいなかった。
 死人を悪く言うのは良くないが、役に立たない。
 なにか別の手がかりを探さなければならない。
 心当たりを思い出してみれば、一人の捜査官の顔が思い浮かんだ。

 以前、会った特殊待機室で、室名通りに待機していれば会えるだろうか。
 そう思って訪れてみれば、そこにはすでに立花捜査官の姿があった。
 「あぁ、誰かと思えば、東大先輩と一緒にいた新人ちゃんか。偶然だね」
 立花捜査官の座る机の上には、食べ終えたカップラーメンの容器と食べ散らかしたスナック菓子の包装。
 部屋に入った時からしている異臭の元はこれか。
 特殊待機室は飲食自由である。
 しかし、不特定多数が使う部屋の中で臭いが強いものを食べるというのはマナーが欠ける。
 しかも、食べ散らかしたまま、片付けもせずに放置している。
 こういうところが使えないという評価に繋がるのだろう。
 東大先輩からの評価はクズだった。
 だけど、金になる仕事を見つけてくるのだけは天才的だと。
 それなら、彼は何か掴んでいるはずだ。
 「先日、東大先輩が立花捜査官から奪った資料の件でお聞きしたいことがあります」
 自分の話を聞いているのかいないのか立花捜査官は時計を見る。
 「ん~それなら、どっか食いいかね?」
 言われて時計を見てみれば、夕食時といっていい時間だった。
 どうやら移動にかなり時間を使っていたらしい。
 朝から何もいれていない胃袋が抗議の声を上げた。

 「へぇ、以前は東大先輩と組んでいたんですか」
 「無理やりだよ。無理やり。あの人って強引じゃん」
 立花捜査官に連れられていったレストランで向かい合って座る。
 目の前に並んだ料理はどれも美味しく、食事に合わせてワインもすすむ。
 加えて、立花捜査官は以前、東大先輩と組んでいたこともあり話に花がさいた。
 っと、これじゃ普通の食事じゃないか。
 姿勢を正して、立花捜査官に尋ねる。
 「え?何か掴んでないかって?掴んでないっつーの。つーより、これから掴もうって時に、捜査資料とられちゃうんだもんなー」
 赤ら顔で、立花先輩が文句をたれる。
 「ホント酷いよあの人はー。組んでたときから、金になる事件を見つけてくるのは俺なのに報酬はほとんどもってっちゃうんだから」
 ワインを煽る。
 「東大の馬鹿やろー」
 どうやらだいぶ酒が回ってしまっているみたいだ。
 駄目な人だ。
 「ほんと、あの人と関わるとろくな事がないっつーか。金にならないっつーか」
 有益な情報は何一つ得られず、立花捜査官はすでに愚痴モードに入ってしまった。
 「ほら、飲みなよ!」
 勧められるままにワインを口にする。
 手がかりはあきらめるしかないか。
 「おぉ、飲むねぇ」
 自分がグラスを空けると、立花捜査官が上機嫌にお代わりを注いだ。

 さて、どうするか。
 俺は、新人がトイレに立っている間に考える。
 顔が赤いだけであまり酔ってはいないが、念のため水を飲み干す。
 冷静な判断をしなければならない。
 あの新人、たいしたことは掴んでないみたいだが、捜査を続けるつもりだ。
 東大が消されてビビッてるかと思いきや、思ったよりも肝が据わってやがる。
 むしろ、東大の弔い合戦をする気にも見える。
 話を聞く限り資料もよく分析している。
 核心とまではいかなくても、いずれ何かを掴むだろう。
 邪魔だな。
 俺はウェイターを呼び、新しくボトルを入れる。
 恨みは無いが消えてもらうか。
 ウェイターが用意した新しいグラスにワインを注ぐ。
 新人のグラスには懐から取り出した薬品を数滴。
 「あれ?新しくボトルいれたんですか?」
 ふらついた足取りで新人が戻ってくる。
 薬を使うまでも無く酔いつぶれそうだ。
 俺は、笑いをかみ殺して、酔ったふりをする。
 「うぇーい。かんぱぁい」

 「大丈夫?」
 尋ねると、ふらふらしながら新人は頭を下げる。
 「大丈夫れす。それよりもこ馳走さまてした」
 ろれつが回ってない。
 俺は内心、ほくそ笑む。
 「だいぶ、酔ってんなぁ。よければ酔い覚ましに一駅歩いてかない?」
 酒と薬が完全に回るにはもう少し時間がかかるだろう。
 「夜風にあたれば、少しは酔いも覚めるかもよ」
 俺の提案に疑いもなく、新人は頷く。
 罠に誘い込まれているとも知らずに。
 二人で並んで、線路沿いの道を歩く。
 「ここは春になると桜が綺麗なんだよ」
 俺は頭上を指差す。
 つられて新人が並木道を見上げる。
 「確かに、立派な桜が並んでますね。名所ってやつですか?」
 新人は辺りを見回す。
 「それにしては街灯も少ないし、なんだか人けがない気がしますが」
 「穴場ってやつだよ」
 殺しのな。
 新人が視線を地面に落とした瞬間に崩れ落ちる。
 並木道を見上げさせたのは頭を振って酔いをまわすためだ。
 それなのに、自ら辺りを見回すまでしてアホな奴だ。
 「大丈夫か?」
 俺はしゃがみこむ新人に声をかける。
 大丈夫なわけねぇよな。
 頭は回らず、視線は定まらず、手足に力は入らない。
 唯一の救いは痛みを感じにくいことぐらいかな。
 俺は新人を介抱するふりをして、その首に手を伸ばす。
 まぁ、そのまま大人しく――死ね。

 「なにが起こったかわからないって顔ですね」
 自分は立花捜査官の首筋にナイフを沿わせている。
 大動脈の隣、おまけにレストランから拝借したこのナイフはとても切れそうだ。
 非力な自分でも血の雨を降らせることは容易い。
 「てめぇ……どうして……潰れたはずじゃ」
 のどを傷つけないように恐る恐る立花捜査官が疑問を口にする。
 「簡単ですよ。酔ったふりをしていただけです」
 「薬は……」
 「吐き出しましたよ。お酒と一緒に」
 店から出る前に。
 「東大先輩に『金に汚い奴は信用するな』と言われていたので」
 立花捜査官はあいつにだけは言われたくないという顔をする。
 「それに、自分は薬を盛られたらわかりますから」
 立花捜査官はまさかといった顔を見せる。
 「自分も使おうとしたことがありますし」
 それに、捜査官になったなら。
 「ぺろっ、これは青酸カリとかやりたいじゃないですか」
 「いや、それは死ぬだろ!?」
 おっと、ツッコミができる余裕はあるのか。
 自分は手に力を込め、ナイフをより喉に食い込ませる。
 「さて、自分は立花捜査官に色々聞きたいことがあるんですが」
 捜査官特別条項――
 「答えていただかなくても構いませんよ」
 ――容疑者と対峙し、生命の危険が脅かされる場合、その手段と――
 「こんな機会はめったにありませんから」
 ―それによる結果を問わない。
 ナイフを少し押す。
 立花捜査官の喉の皮膚が薄く切れて血が滲む。
 「ま、まて、全部話す」
 「いや、いいですよ。むしろ話さないでください」
 あぁ、楽しみだ。どんな感触がするんだろう。
 「ひ、東大はまだ生きてるっ!」
 立花捜査官が皮膚が切れるのも構わず叫ぶ。
 そして、その叫ばれた内容から、彼を殺すわけにはいかなくなってしまう。
 残念だけど――仕方ない。



                                                >>続く
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