「何かが起きることを期待してた」
声がした方を悪魔が見ると、ベットで寝ていた天城良子が、上半身を起こしていた。
やっと起きたか。
あの後、悪魔は意識を失った良子を抱え上げて、良子の家まで戻ってきていた。
戻ってきてすぐはベッドに寝かせた良子の顔を眺めていたのだが、全く起きる気配が無いので、飽きて、ネットサーフィンをしていた。更なる問題を探すために。
良子には成長してもらわなければ困る。奪いそこねた魂は、奪いそこねたからには次の機会までに、より価値の高いものになっていてもらいたい。
「私ね、ずっと今の生活が……なんて言ったらいいのかしら」
顔を俯かせて、なにか独白めいたものを始めた良子を悪魔は見つめる。
大事な事を話そうとしている。“願い”に関わる重要な事柄を。
「不満があるわけじゃない。大企業の会長の娘として何不自由の無い生活を送らせて貰っていると思ってる。だけど、ずっと、父の言うことを聞いてきて、周りは私を父の娘としてしか見ていなくて、どこまでも天城の名前がついてきて……私は私として生きているような気がしなかった。与えられた役割をこなす人生。でも、私の人生って?役割の無い自分は何をすればいいの?わからないわ。だから何かが変わらないかなって思ってた。今をひっくり返す何かが」
話を聞きながら悪魔は良子のそばに立つ。
良子は顔を俯かせたまま、視線だけを悪魔に向ける。
「だから、貴方が現れた時、何かが変わると思った。今まで私が思いもしなかったことができるんじゃないかって」
現実に対する満たされない気持ちからの非現実に対する憧れ。
「私は変えたかった。変わりたかった。そんな時に今回の事件を見つけた。チャンスだと思った。私の力で問題を解決できれば、私は変われると思った。父の庇護下にいる私じゃなくて、私自身になれると思った」
そこまで言うと、良子は顔を上げて弱々しく笑った。
何でだろう。悪魔はその表情がとても気に食わなかった。
「だけど、失敗しちゃった。当然よね。あれこれ理由をつけて、結局、私は私のために有馬さんの件を利用してたんだもの。私のしたことは間違っていないと思うけど、私の動機は不純だったと思う。彼女の事よりもどうやって解決するかの方が私にとっては重要だった。彼女の事をわかってなかったんだもの。失敗して当たり前ね」
自嘲気味に微笑む良子を見て、悪魔は衝動的に、良子の頭に手を置き、髪の毛をクシャクシャに混ぜた。
「ちょな、なに?」
「なんとなく」
顔を赤く染め、抵抗する良子の頭を無遠慮にかき回す。俺は何をしているんだ?
ふと湧いた疑問。だけど深く考えない方がいい疑問。
悪魔は場をとりなすように、無駄に明るい声を出す。
「失敗ってほど失敗でもないんじゃねぇ?理想通りとはいかないけど“あおくろ”は文字通り地獄に落ちたし、サイトやらなんやらもぶっ壊したから有馬優乃も援助交際できなくなったし、まぁ、有馬優乃はまた手を出すかも知んないけど、とりあえず、止めさせる事はできたっしょ!試合に負けて勝負に勝った的な」
「なんだか、逆なような気がするけれど」
良子は顔をしかめた。とりあえず、悪魔は再び良子の頭を掻き回す。
「気の持ちようでしょー。勝ったと思っときゃいいんよ。大体さぁ、始めっから上手くいくわけないっしょ。一歩目で躓いたからって、座り込む気か?良子ちゃん。そんな情けねぇ人間と契約した覚えはないぞ。クーリングオフすんぞ」
「女の子の髪を無遠慮にかき回すな!この悪魔!」
良子は悪魔の手を押さえて呟く。
「大体……クーリングオフはできないんでしょ」
悪魔の手を良子がぎゅっと握り締めた。
なんだこれは。これは……危険だ!悪魔は慌てて手を引っ込める。
「わかってるじゃん!良子ちゃんよ。良子ちゃんの魂をいただくまで契約は終わらないぜぇ、とっとと俺にお願いしちゃって楽になれよ。魂をよこせよ」
「契約は当分続行ね。私の“願い”が叶うまではまだまだかかりそう。そもそも貴方に“願う”ことなんてないもの」
元気を取り戻したのか、良子はいつものように勝気な笑みをみせた。
「ん〜?その心は?」
悪魔は挑むように良子に“願い”を訊ねた。
「私はね。自由になりたいの。父の庇護下から出て、天城の名前に縛られることなく、自分の意志で、自分の力で生きていきたいの」
強い意志を宿した瞳で語る良子に悪魔は首を傾げる。
「自由になりたい?そんなの簡単じゃね?とりあえず家出でもすりゃいんじゃね?」
悪魔の質問に良子は挑戦的に答える。
「馬鹿ね。それじゃ、逃げるだけじゃない。私の“願い”は完全な自由よ。誰にも惑わされず、何のしがらみも持たない完全な自由。そのためには私は父を越えなければならない。父を超え、今、私を構成している天城の名前を超えて初めて私は天城グループ会長の娘、天城良子ではなく、一人の人間、ただの天城良子になれるのよ」
誰にも惑わされず、何のしがらみも持たないなんて、誰とも関わらず、何のつながりももたないのと同義だ。
熱く語る良子を見て悪魔は寂しく呟く。
「完全な自由なんて完全な孤独と一緒だよ良子ちゃん、神様にでもなる気かい?」
「え?なに?……どうしたの?」
悪魔の表情を見て、心配そうな声をかける良子を誤魔化すように悪魔は満面の笑みを作る。
「父親を超える?そんなの俺っちに願えばチョチョイのチョイじゃない!スーパーウィーマンにしてやんぜ」
サムズアップする悪魔を良子は呆れた目で眺める。
「あのね、自分の力で超えないと意味が無いでしょ?貴方の力を借りたらズルした自分が許せなくて、それこそ精神的に一生、父を超えられなくなっちゃうじゃない」
「なら、いっそ“完全な自由”を願うってのはどう?一発解決、はっやっ!」
悪魔の提案に良子は溜息を吐く。
「それこそ、私の手で手に入れなければ何の意味も無いじゃない。貴方の力で手に入れた自由なんて“完全”な自由とはいえないわ」
それに――と良子は悪戯っぽく笑って続ける。
「悪魔にした願い事って、歪んだ形で実現されるんでしょ?『完全な自由とは死ぬ事だ』とか言われて殺されちゃったら堪らないわ」
「おぉ、よく知ってんね」
使おうとした手がバレてる。悪魔は素直に感心した。
良子は自信たっぷりに鼻を鳴らす。
「私だって、貴方がいない間に調べたのよ。悪魔について」
「どうやって?」
「インターネットで」
「ウィキで?」
「ウィキで」
「誰でも編集可能なアレで?」
「そう、オープンコンテントなフリー百科事典ウィキぺディアで!」
「あれ結構、嘘も書いてあるぜ」
悪魔の項目編集したの俺だし。悪魔は自信満々で胸を張っている良子を眺めながら思った。
悪魔は良子を見つめながら考える。
“完全な自由”か。
良子が言っているのはきっと、ただの思春期特有の悩みだろう。いわゆる反抗期、親離れの時期だ。心配することは無い。
良子は親の手を離れ、自身の足で一歩を踏み出したのだ。
悪魔はその足を踏み外さないように育ててやればいい。そうすれば良子の魂は自然と輝きを増していくだろう。
そうして育った光り輝く魂を悪魔が美味しく頂いてしまえばいい。
それまではせいぜい天城良子という人間に協力してやろう。
悪魔は涎の押さえきれない口元を拭いながら、ふと思う。
あれ?天城良子は“願い”を自分で叶えると言っていた。話を聞く限り、良子の“願い”は自ら叶えなければならない。自らの力で手に入れなければ意味の無いものだろう。
願いを叶えなければ魂が手に入らないのに、叶えるべき“願い”が無いなんて。
重大な問題に思い至って悪魔は青ざめた。
「ん?んん?あれ?俺の叶える良子ちゃんの“願い”ってなくね?」
「そうかもね」
慌てる悪魔を見て良子が微笑んだ。
その無邪気な笑顔を見ると、悪魔はなんだかどうでも良くなってしまった。
気長に行くのも悪くない。
良子は一歩を踏み出したばかりなのだ。
いずれ、別の“願い”が出てくる時もあるだろう。
魂が食べごろになるその時まで、せっせと人間の技術を盗みながら待つとしますか。
俺は魔界に革命をもたらすパソコンの悪魔なのだから。
パソコンの悪魔 ― 終
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