パソコンの悪魔C
 場所は変わって良子の住居、悪魔に貸している部屋。
 良子は立ったまま顎に手を添えて呟く。

 「問題は犯人の情報がわからないってことね」

 帰るなりパソコンに向かって忙しくキーを打ち続けている悪魔が顔だけ良子の方に向ける。

 「ネットの匿名性ってか。本名、年齢、住所から何やら何までわからないからね」

 良子は問題点を整理するように会話を続ける。

 「有馬さんとも最初の一回しか会っていないようだし、呼び出したとしても」
 「会えないっしょー。奴ァ、可能な限りシッポを出さないようにしてんもんよ。マジ、上手いよ。本名もなにもわからないんじゃ、それこそ警察に行った所でどうしょうもないかんね。捕まえられないし、犯人の怒りを買ってお宝画像が流出ですよ。ドバーって。ギャギャギャ」

 悪魔は不謹慎な言い回しで愉しそうに嫌らしく笑った。
 良子は決意を込めて軽く頷く。

 「とにかく、まずは犯人と接触することが重要ね」

 良子の発言に悪魔は口を歪ませる。

 「りょーこちゃーん。何の考えも無しに、トッコーしたんじゃ、優乃ちゃんの二の舞よ?ぺろりと犯られて、メス奴隷よ?」

 悪魔の言葉を良子は鼻で笑う。

 「もちろん、直接の接触は避けるわ。有馬さんが“あおくろ”と出会ったSNSで接触して情報を引き出す」

 悪魔が口の端を上げて同意する。

 「まずは犯人を特定しないと交渉のしようが無いってわけだ」 
 「問題は犯人を特定した後ね」

 そこからがわからない。交渉のテーブルに着く事ができたとして、何を材料に交渉する?どうやって優乃や他の子を脅迫している材料を破棄させ、悪逆非道な行いを止めさせる?
 未だ方法が思いつかず、考え込む良子に悪魔は満面の笑みを見せる。
 捕まえた虫を、嬲りながらバラバラにしている子供の様な残酷な笑顔。ゾッとする笑顔。

 「まーまー、良子ちゃん。その後のことは任せてちょ!蛇の道は蛇、ルールを破る輩にはルール無用の残虐ファイトってね。良子ちゃんは“あおくろ”って奴の本名を調べてくれりゃあいい。そしたらウィヒィヒィ。脅迫ネタをデータ管理してれば消すこともできるし、データじゃなくても援助交際斡旋サイトをぶっ壊して封鎖して、二度とできないようにするこた出来る。クラッキング、ウィルスに不正アクセス、何でもやって破滅させてやんよ。あぁあぁ、ネットって怖いねぇ、ガャギャギャガガ」

 一気にまくし立てる悪魔の言葉を、あまり理解できずに良子は目をシロクロさせる。
 何をする気だ?

 「本名?本名がわかるだけでいいの?」

 名前がわかったとして、それだけで何ができるというのだろうか。
 良子の疑問を見透かしたように悪魔は鋭い犬歯を覗かせる。

 「初めのころに言ったっしょ?安易に悪魔に名前を知られちゃいけないって!俺様はパソコンの悪魔。ネット上で俺に名前を知られることがどういうことか、そいつぁ、見てのお楽しみってね」

 人間には発声できない声で笑いながら悪魔は目の前にあるキーボードのENTERキーを打ち鳴らした。
 モニターの画面が腐った血の色に彩られ、赤黒い物体が這い出るように画面から落ちる。
 血と粘膜にまみれヌラヌラ光るその物体は、蠢きながら羽を広げて飛び上がる。

 「うわぁ……」

 悪魔の顔あたりまで飛び上がった赤黒い物体を見て、良子は心底嫌そうな声を上げた。
 無理も無かった。悪魔に付き従うように側を漂う赤黒い物体は内臓だった。
 正確には胃の形。血を滴らせた胃が、皮を剥がれた蝙蝠の羽を生やして飛んでいる。
 あまりの非現実感に、良子は、滴る血が部屋を汚したら嫌だななどと思ったが、滴り落ちた血はどうやら数秒後に消えるらしく、現在滴っている血液以外は床を汚してはいなかった。

 「なにそれ?」

 嫌そうに良子は浮遊する胃を指差した。
 悪魔は血を滴らせながらホバリングしている胃を見て満足そうに頷くと、良子に向けて親指を立てる。

 「“滴れ内臓ちゃんシリーズ”の胃ーちゃんだっ!」

 なんだそれ。

 「俺っちの使い魔だ!」

 元気に宣言する悪魔を見て、良子は頭が痛くなった。

 「使い魔ってのは、その、手下みたいなものよね?なんで胃?」
 「おぅ、よく知ってんね!いやぁ、昔、悪魔のお偉いさんが『魔界にIT革命などいらん!』とか言ってケンカ売ってきたから、ムカついたんで、ぶっ殺して、内蔵引き摺り出して使い魔にしてんの。こいつは胃のいーちゃん!他にも大腸の大ちゃんとか、膵臓のすいちゃんとか、いっぱいいるぜ!」

 悪魔は爽やかに笑った。全然、爽やかな内容じゃないのに。

 〈して、ご主人様、我に如何なるご用命を〉

 良子と悪魔の会話を遮るように、空飛ぶ胃から声が発せられる。
 胃が喋るって一体どこから声を出してるんだ。などと野暮なツッコミはしないことにした。良子は言いたい事がありすぎて、むしろどうでも良くなってしまったので、全てを受け入れる事にした。
 胃に響くような、いーちゃんの声は空気を振動させるのとは別の方法で声を伝えてくる。脈打つように膨張と収縮を繰り返す様は口を動かしているようだ。

 「俺ぁ、一旦、魔界に帰っかんさ。サポートって事で、特別に使い魔のいーちゃんを良子ちゃんにレンタルしちゃうZE!」

 両手をサムズアップして突き出す悪魔とは裏腹に、良子の精神力はガリガリと削られていた。
 本気で遠慮したい。
 そんな良子の気持ちはお構い無しに、悪魔は自らの使い魔に指示を出している。

 「じゃ、そろそろ行くんで!後はヨロスクゥ!」

 指示を終えた悪魔はそう言って、パソコンのモニターに右腕を突っ込む。

 「え?もう行っちゃうの?」

 瞬く間に話が進んでいくために、心の準備が出来ていなかった良子は、思わず悪魔を呼び止める。
 共闘を約束しあった仲間と離れるのは少し寂しい。
 今まで、思いもしなかった感情に良子は少し戸惑う。
 そんな良子を安心させるように悪魔は笑う。人間みたいな笑顔で。

 「良子ちゃンちのパソコンでもスペック的には十分なんだけどさ、やっぱ俺専用にカスタムしてある奴の方が三倍速いからさぁ。嫌でも期待に応えちゃうぜ!だから、良子ちゃんは安心して自分の任務をやっちゃえよ!」

 悪魔の体が闇に包まれ、モニターの中に飲み込まれていく。
 完全に飲み込まれる寸前、悪魔は良子に向かっていい加減な敬礼をする。

 「健闘を祈る!期待してんぜ、良子ちゃん」

 最後は人間には真似できない悪魔らしい笑い声を残して、悪魔は消えた。
 良子は、引きとめようとして出した手の行き場を無くしてしまった。
 良子の隣には、見ているだけで気が滅入る様な物体が飛んでいる。

 「えーーっと、よろしくね?いーちゃん」

 とりあえず良子は血を滴らせている胃袋に呼びかけてみた。
 〈はい。こちらこそ。短い間ですがよろしくお願い致します〉
 外見のグロテスクさとは裏腹に、いーちゃんは礼儀正しく丁寧に挨拶を返した。


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