10 :
ワールドコード
翌日、病院で目を覚ました狩野は、検査入院を勧める医師を無視し、手続きを済ませすぐに病院を出た。
昼前、幻覚の余韻でふらつく頭を押さえながら、狩野は研究所のドアを開けて、病院に戻りたくなった。
「おい、学校はどうした不良娘、開校記念日とかクソなことぬかすんじゃねぇだろうな」
狩野が声をかけると、狩野の机の上に座っていた真名は別人のような表情を浮かべて笑った。
「うんにゃ、今日はサボり、かったりいし」
ニヤニヤと挑戦的な笑みを浮かべる真名に舌打ちして狩野は自分の椅子に座る。
「どけ」
「やだね」
机の上からどかそうとする狩野に対して真名は一度、机から降りたものの今度は上体を机の上に預け、狩野を覗き込むように顔を近づける。
狩野の視界を占領する美しい顔は確かに真名のものであったが、何もかもが普段の真名とは別の表情をしていた。
いつもは落ち着きを持った澄んだ瞳は好奇心に彩られた挑戦的な光を宿し、普段、微笑む程度にしか動かない唇は自身の力を誇示するように大きく釣り上がっている。
服装も普段、肌の露出を出来るだけ抑えている真名からは想像できないような扇情的で露出の多い服装。髪型はポニーテールに変わり、なるべく人目につかないように隠している両耳が今日は惜しげもなく晒されている。
常に隠されているはずの両耳には無数のピアス穴が開き、様々なピアスが両耳を痛々しく装飾している。
その中の一つ、耳たぶにつけられた小さく赤い光を放つ大人しいものに狩野は目を留めた。
「おう、ちゃんとつけてんだなソレ」
狩野の言葉に眉をひそめると、忌々しそうに真名は答える。
「アタシは引き千切って捨ててやりたいぐらいだけど、真名の奴が誕生日にアンタから貰ったもんだから、喜んじゃってね」
「気に入ってもらえて何よりだ」
「そういうことじゃないんだけどなぁ~」
真名は呆れたように、馬鹿にした目を狩野に向ける。
「あぁ?んだ?その目は、いいかお前が気に食わなかろうがなんだろうが、そいつを常に肌身離さず身につけとけ、これは命令だ」
言い終わった瞬間、狩野は胸倉をつかまれて引き寄せられる。
「嫌でも、呪いみたいに耳に突き刺さってんよ!いいか?命令だ。アタシが出てくるような事をすんな!アタシを起こすな!呼び出させるな!わかったか?これ以上アタシの機嫌を損ねるなら……殺すぞ」
食い殺すような真名の視線を逸らすことなく狩野は受ける。
しばらくの間、お互い睨み合った末に、真名は突き放すように手を離して立ち上がった。
「で?ニナ、今回お前が出てきた理由はなんなんだ?真名は何をヘソ曲げてやがる」
狩野が声をかけると、研究所から出ようとしていた、ニナと呼ばれた真名は振り返って、コイツ何にもわかってねぇとばかりに鼻で笑った。
「アタシは虫唾が走るけど、真名はね、アンタの役に立ちたいんだよ」
「あ?十分役に立ってんぞ?」
「はぁ、わかってない。何にもわかってないねアンタは。ま、アタシにとっては好都合か、アンタとなんか死んでもゴメンだし」
バーカ、と捨て台詞を残して、研究所のドアは閉められた。
「ったく、なんなんだよ」
結局、何も理解できなかった狩野はイライラを押さえつけるように頭を掻く。
(今回は備品が壊されることも無かったし、怪我もしてないだけまだマシか)
前回、ニナが現れた時の惨状を思い出して狩野は頭が痛くなった。
「まったく痴話喧嘩は犬も食わないってね、いい加減イチャつくのはやめてくれないかな。せめて僕が巻き込まれないところでお願いするよ」
狩野が研究所奥の部屋に入ると、仮眠用のベットの上で身を守るように蹲っていた引き篭もりの天才少年―ミハエル=ブランケンハイムは開口一番、不満を訴えた。
「誰がイチャついてるって?なんだって俺があんなクソガキを相手にしなきゃなんねぇんだ」
「ふん、日本人はみんなロリコンなんだろう?」
「こういう時だけ外国人づらしてんじゃねぇよ、この東京生まれの国立育ちが」
「僕にとって国境なんて無いに等しいものだ」
「あぁ、お前、部屋から出ないもんな。そりゃ、関係ないわ」
「いたいけな少年が変態上司に監禁されてる件…」
「なに、嘘っぱちの内容でスレ立てしてやがる」
「狩野なんか逮捕されてしまえ、その方が人類にとって有益だ」
「お前が勝手に居座ってるんだろうが、むしろ不法占拠だ」
「フフフ、しかし、この状況を見て警察はどう判断するかな」
「それでも俺はやってない。つーか、お前たまには家に帰れよ」
「必要ない」
PCに向かうミハエルの手が小さく震えているのが見えたが、狩野は無視した。
「で?なんか面白い情報はあったのか?せめて家賃分は働けよ」
「は、お釣がくるね」
ミハエルは大量の情報を次々に画面に映し始めた。
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