13 :
ワールドコード
真名はゆっくりと瞼を開いた。ぼんやりする視界、ぼんやりした頭で状況を確認する。
(狩野さんと電話してて…急に後ろから襲われて…薬?…気を失って…どのくらいの間…)
触れている感触からベットの上に寝かされていることはわかった。
両手の親指だけが後ろ手に結ばれていて手は自由にできない。
薬を嗅がされたせいか、思考がはっきりしない為、真名は急には起き上がらずゆっくりと周りを見回すことにした。
妙に広い空間。おそらく立ち並んでいた倉庫の一つの中だろう。
小さい本棚や、机、ソファ、倉庫の一部が居住用のスペースに改造されている。
そんな秘密基地の様な、それでいてモデルルームのように妙に整理整頓された空間を、薄目で見渡していくと、男の姿があった。
真名はしっかり眼を開いてその男を見つめる。
「やぁ、起きたかい?」
痩せ型で長身のその男は、痩せてるというよりやつれている顔で真名に微笑んだ。
「枯庭…豊…さん」
「一応、初めましてと言ったほうがいいのかな」
起き上がろうとしたが、手の自由が奪われているために上手くいかない。
枯庭は、真名の上体を支えて、ベットの端に座らせた。
「大丈夫かい?手荒な真似をしてごめんよ。気分は?」
「…少し、ぼんやりする」
真名の言葉を聞くと、枯庭は設置されている冷蔵庫の中からミネラルウォーターを取り出し、コップに注いで、真名の前の背の低いテーブルの上に置いた。それは、具合の悪い妹を看病する兄の様な動きだった。
真名はコップの水を能力で調べる。水道水と感触は違うが特に違和感は感じられなかった。
「大丈夫、毒は入ってないよ」
「わかってる」
「そうか、すごいな」
「?何がですか?それより手がこのままじゃ飲めないんですけど…」
「あぁ、ごめん。でも、まだ解くわけにはいかないんだ。逃げられると困るし、何より君と話がしたいんだ」
枯庭は真名の要求をやんわりと拒否すると、真名の隣に座り、コップを真名の口元に当ててきた。
物凄い不快感に真名は吐きそうになったが、何とか堪えて冷たい水を喉に通すと、幾分か頭がすっきりした。
真名はコップを離した口元が、枯庭に押さえるようにタオルで拭かれた瞬間、鳥肌が立つのを感じた。まるで幼い兄弟の世話をするかのような、親愛の情が伝わってくる行動。
枯庭が兄弟に対する愛情、慈しみや情を真名に向けているのが、真名には不気味で不愉快で、不快だった。
「…ありがとうございました」
不快感を顔に出しながらも、真名は形式的な礼を言った。そうしなければならないような危険性が枯庭からは感じられた。
「どういたしまして…と言ってもこうなってるのは僕のせいか。話を聞いてもらえればすぐに解くから、申し訳ないけど少し我慢して欲しい」
そう言うと枯庭は真名の向かい、テーブルを挟んで向かいにあるソファに座った。
「改めて自己紹介からさせてもらおうかな、僕は枯庭豊。君の名前を聞いてもいいかな?」
枯庭は前かがみになるように足の上で手を組んで静かに語りかけてくる。
いきなり危害を加えられることは無さそうだと考え真名は枯庭と話してみることにした。
同情できる面もある。同じ、人とは違う能力を持っている。話をすることによって悲惨な結果を避けることが出来るかもしれない。
「私は一条真名…」
「マナか…どういう字を書くんだい?」
「真実の名前…です…」
「そうか、真名ちゃん。単刀直入に言おう…僕の仲間になって欲しい」
「嫌です」
沈黙が流れる。参ったという風に枯庭は苦笑いをこぼした。
「少しは考えてくれてもいいんじゃないかなぁ」
「仲間になれなんて、なんでそんな話になるのかわかりません」
「わからない?君と僕は同じだからさ」
「同じ?」
「しらを切るのはやめようじゃないか。僕と君は同じ。他人が持たない特別な力をもっている。そうだよね?」
真名は黙って枯庭を睨みつける。
枯庭はあくまで静かに、しかし興奮を滲ませながら続ける。
「先日、死角になっていて見えないはずの僕を君は見つけた。覚えてる?僕は忘れない。君と眼が合った時…すぐにわかった。君は人とは違う力を持っているって、それぐらい特別で、不可解で、異質で、恐ろしく、素晴らしい瞬間だった。どんなに逃げても僕は君に捕まる、そう思った。そして、予想通り、君は今日、僕を見つけた。僕が君を見つける方が早かったけどね。全てひっくるめて神様に感謝したい気分だよ」
「…私は神様を呪い殺したい気分です」
「そう邪険にしないでくれよ。確かに手荒な真似をしたことは謝る。本当に申し訳ない。だけど、それは君とこうして話し合うためには仕方の無い事だったんだ。それに僕の話を聞けば君だって僕に賛成してくれるはずだ」
そこまで言うと枯庭は一度、言葉を区切って息を吸う。今まで真名を見つめていた優しい眼差しは、深く遠くを見るような、ここに存在しない何かを睨みつけるような、覚悟を決めたものに変わる。
そして、静かに、枯庭はあらためて言葉を口にする。
「年間、どれだけの人が犯罪に巻き込まれているか知っているかい?その中でも殺人や強盗、強姦、誘拐、監禁、人の体や心、命さえも踏み躙る凶悪犯罪がどれくらい起きていて、どのくらいの被害者がいるかわかるかい?そして未解決の事件、犯人が未だ見つからない事件がどれくらいあるか…いいかい?罪を犯しながら、未だに警察の手を逃れ、罪を償わない、償おうとしない人間は君が思った以上にいるんだ。彼らを野放しにしてしまったら、殺されてしまった人はどうなる?肉体的、精神的に大きな傷を負わされた被害者はどうなる?直接、被害者になってしまった人たちだけじゃない、周りの家族や友人、遺族の怒りは?恨みは?悲しみは?」
「だから、あなたが変わりに恨みを晴らしていると?」
「僕はね…二年前、妹を殺されたんだ。仲は特に良いほうでもなく、普通だったと思う。僕が実家を出てからは、特に連絡を取り合ったりもしていなかった。でもね、妹が殺されたって連絡を受けて、殺された遺体を見て、僕の中にどうしようもない悲しみと、妹を守れなかった不甲斐無さと後悔が溢れてきた。涙がとめどなくあふれてきた。感情を流してしまわないように涙を集めて飲んだ。それでも涙は止まらなかった。部屋に篭って独りで絶望を眼から流していた。いつまでそうしていたかはわからない。涙が枯れ切った後の僕の中で次に生まれたのは憎しみだった。言葉に出来ない。自分の中にも溜めておけないおぞましい何かが僕の体を支配し始めたんだ。そのときまだ捕まっていなかった妹の犯人を四六時中探し回った。生活が壊れても、体が壊れても、構わずに探し回った。しばらくして犯人は別件で逮捕された。犯人が逮捕されたニュースを見て僕は愕然としたよ。おそらくは無期懲役。僕が見つけ出していたら必ず殺していたのに、妹の無念を晴らしていたのに。それに僕が犯人を見つけていれば犯人が捕まる原因になった別件、その被害者も出さずに済んだのに…妹を殺した犯人が捕まったというのに、僕は苦しみにのた打ち回っていた。僕は許せなかった。不甲斐無い自分が、全ての悪が許せなかった。そんな僕にある時、神様が特別な力を授けてくれた。正義を体現する力を、悪を裁く力を…僕は選ばれた」
枯庭はうっすらと眼に涙を溜め、それでも悟ったようにうっすらと笑っていた。
真名は自身の力をなるべく引っ込めるようにしていた。枯庭に触れるのは、かなり危険な事だと真名は認識していた。
「あなたに裁く権利なんてない。犯人を捕まえるのは警察の仕事、裁くのは法律」
「そうかもしれない。でもね、時に犯罪者は警察の上を行き、彼らを出し抜く、法律の穴を抜け罪を逃れる。人の手に負えない悪を僕が裁いているんだ」
「警察が嫌いなの?犯罪者を捕まえられない無能な集団だと?」
「そんなことはない。勘違いしないで欲しい。警察は優秀だよ。だけどいくら有能でも人間に出来る事なんて限られているんだ」
「神様にでもなったつもり?自分に酔ってるだけじゃないんですか?」
「そうかもね。でも、僕の力は本物だよ。少なくとも悪い人間を見つけ出し、正義の鉄槌を下すことが出来る」
「あなたにだって人を殺す権利なんて無い!」
「そう思うよ。だけど、これは僕や君みたいな選ばれた人間にしか出来ない事なんだ」
真名は相手にわからないように溜息を吐いた。
(話にならない)
会話を通して、枯庭は一度は真名の意見を受け入れる。しかし、それは言葉だけで彼の意見、彼の思想、彼の信念はなんら変わることは無かった。
真名は諦める事にした―枯庭豊という人間を。
真名は押さえつけていた感覚を解放し、振るう。
真名の眼が全てを飲み込む海に変わる。
「あなたは狩野さんとは違う。あなたとは仲間になれない」
「狩野?」
突然、真名の口から出てきた名前に枯庭は戸惑う。
「あなたも見たでしょ?こないだ私と一緒にいた二人のうちの一人、私の上司です」
「上司?どちらを指しているのかは解らないが、彼ら二人からは特別なものは感じなかった。君とは違う。それとも何か特別な力を持っているのかい?」
「いいえ、ただの普通の一般の人間です」
真名は青く、光を吸い込む眼を枯庭に向ける。
枯庭は、その眼に魅入られながら、飲み込まれまいと必死に言葉を紡ぐ。
「上司?なぜ君は普通の人間に従っているんだ。彼らと僕らは違う。僕と一緒の方が君にとっても幸せなはずだ!」
「狩野さんはあなたと違って嘘はつかない!あなたは嘘だらけ」
「僕が?君に僕の何がわかるって言うんだ?」
動揺する枯庭に対して、あくまで真名は冷静に告げる。
「わかりますよ…あなた以上に」
「き、君の力は…なんだ?」
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