14 :ワールドコード

 「狩野さんにも本当のことは言って無いんですけど、まぁ、言ったところで『なんでもいい』とか言われそうですけど…私の力は第六の感覚で世界を感じること」

 枯庭は黙って唾を飲み込むことしかできない。

 「人間が複眼や超音波を駆使した世界がわからないように、持たない感覚を説明する事は不可能に近いのですが、あえて五感にたとえるなら、私は―」

 真名は飲み込むように眼を見開いて続ける。

 「―何処で何が起こっていても目を凝らすようにその出来事を見ることができ、最小のものも最大のものも触れるようにその存在を感じられ、耳をそばだてるように過去を聞き分け、嗅ぎ分けるようにその因果を調べることができる。そして―噛み砕き、味わうように人間の中身を知ることが出来る」

 枯庭は悟ってしまった。彼我の圧倒的な差を、自分が何を相手にしているのかを。

 「そ…そんな…そんなのまるで世界…世界そのものじゃないか」

 枯庭の恐怖と畏れに飲み込まれた表情を見て、真名は哀しくなって笑った。
 普通の人間はもちろん超能力者からも恐れられる能力。
 しかし、本当に恐れているのは、怖くて怖くて泣き出してしまいそうなのは真名の方だった。否が応にも恐ろしい出来事、目をつぶりたくなるような人間の内面が真名には見えてしまう、感じられてしまう。人は騙されるから生きていける。勘違いするから生きていける。真名にはそれは許されない。ニコニコと笑う人間の憎悪に満ちた声、人当たりの良い人間の心の空洞。本音と建前、嘘と本当、裏表裏表裏表。
 恐れているのは真名のほうだ。それなのに他人は真名を恐れ―

 「君の力は…君は危険すぎる」

 ―排除しようとする。
 枯庭の目に敵意が宿る。真名を攻撃対象とすることで枯庭は自身の恐怖を押さえつけているようだった。
 真名は哀しくなって目を閉じた。
 真名の抱える問題は簡単なものではない。人間の裏を見たくないなら目をつぶって見ないようにすればいいと思うかもしれない。しかし、目をつぶったまま生活はできない。見えてたものが見えなくなるのは恐怖でしかない。真名は自身の能力を嫌い、疎み、忌み、呪っていたが、一方で、縋り、求め、頼り、必要としていた。能力なくして生きてはいけない。能力の存在は真名の存在そのものといえた。
 アイデンティティ―誰もが恐れ、真名自身でさえも持て余し抱え込んだそれを―真名という力そのものを必要としてくれた人間を、真名は思い出し目を開く。

 「狩野さんは自分勝手で、怒りっぽくて、だらしなくて、いい加減で、不真面目で、ダメ人間でクズだけど、私の力を本当に必要としてくれる。あなたみたいに嘘は吐かない!悪を裁くなんて嘘…妹の仇だなんて嘘…あなたは自分の弱さが許せないだけ、妹さんを守れなかった後悔に縛られてるだけ…私を仲間にしようとしたのだって、選ばれた人間だと言いつつその孤独に耐えられなかっただけ…嘘嘘嘘…最悪なのはあなたがそれに気づいていないこと」

 真名の言葉に枯庭は額に血管を浮かべ激昂した。

 「違う!僕は崇高な使命のために戦っている!…はっ、君だって自分が見えてないじゃないか!君はね、君はその狩野ってやつに利用されてるだけなんだよ!」
 「そうですよ」

 あっさり肯定した真名に枯庭は肩透かしを食らったように呆けてしまった。
 真名は強い眼差しで枯庭に向かって告げる。

 「狩野さんは私を利用してる。私だって狩野さんを利用してる。感情なんてものはあやふやで実体が無く、すぐに変化し、常に変化し、裏切り、変わる。愛情も友情もすぐに反転して、簡単に恐ろしい別の何かに変わる。だけど、利益はその必要性がある限り変わらない。お互い利用しあう、お互いにとって利益がある関係は、理由のない感情と違って信用できる」
 「利用しあう?君の能力を彼が利用したとして、それで、君には?君には何の得がある?」
 「私は狩野さんを信じることが出来る。誰も信じられない世界で、私は人を信じるという安心感をもてる。私の能力を知った人は、みんな私を畏れ、遠ざけて、殺そうとする。あなたみたいに…でも狩野さんは私を利用する。私を必要としてくれる。誰も信じられない孤独から私を救ってくれる」

 悲しみに目の端を濡らしながら、それでも嬉しそうに真名は言う。

 「狩野さんは私を利用してくれる。だから信じられる。あの人は私の力を、自分のためだけに、自分の利益のためだけに、自分の目的のためだけに使ってくれる。だから信じられる!嘘は吐かない!聞こえのいい言葉でごまかしたりなんかしない!だから私はあの人を信じてる。あの人は私が利用できる限り私を必要としてくれる。だから、私があの人にとって利用価値があるなら必ず―助けに来てくれる」

 その瞬間、倉庫の扉が大きな音を立てた。
 体に振動を与えるほどの轟音をたててゆっくりと開いていくその様は、地獄の門が開いていくような禍々しさがあった。

 「よう、殺人鬼、未成年を監禁する趣味があるとはとんだ変態野郎だ」

 へらへらと他人を見下すような声は狩野のものだった。

 「あんたが、狩野か?」

 開いた扉の先に立つ人影を認め、枯庭はそちらを向いて構える。

 「ん?なんだぁ?ガキから俺の名前を聞いたのか?そっかー、それなら消すしかねぇなぁっと」

 狩野は、ふらふらと気だるげに倉庫内に足を踏み入れ―瞬間、その足を踏み込み、一気に枯庭の懐まで駆ける。
 狩野の急な動きに対応できず、動きが遅れた枯庭の鳩尾に狩野のつま先が突き刺さる。
 息を詰める枯庭に、狩野はテーブルの上に置かれたコップを掴むとその勢いのまま体を回転させ叩きつけた。
 骨を叩く鈍い音が響く。

 「っあ…」

 コップの底を打ちつけられた肩を押さえながら枯庭はとっさに下がって、間合いをとる。
 狩野は握り締めていたコップを投擲、枯庭の頭を掠めたガラス製のコップは床に落ちると砕けて派手な音を立てた。
 痛みを堪えながら枯庭は反撃に出る。
 狩野は狂喜に目を輝かせながら、構えも取らずに無防備なままで笑う。

 「俺に攻撃してもいいのか?」

 狩野の言葉に、拳を振り上げた枯庭の動きが止まった。
 一瞬の隙を見逃さず狩野はカウンターを浴びせる。

 「俺を殺していいのか?」

 枯庭の膝に狩野は踵を打ち込む。

 「俺は悪人か?俺に何の罪がある?お前に俺が裁けるのか?裁く権利は?理由は?お前が人を殺す前提は?条件は?正義は?信念は?あるわけねぇよなぁ、わかるわけねぇよなあぁぁ」

 狩野の問いかけに、戸惑うように枯庭の動きが鈍る。
 動きの鈍った枯庭に狩野は一方的に暴力を浴びせかける。
 嬉々として殴りつけ、憎しみを込めて嬲る。

 「狩野さん!」

 真名の声に狩野は動きを止める。
 我に帰ったのではなく、興をそがれたといった目で狩野は真名に視線を向けた。
 狩野が目を離した隙を突いて枯庭が転がるようにして間合いをとる。

 「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉあぁぁぁぁぁぁ」

 叫び声と共に枯庭は近くの戸棚から大型のナイフを取り出して構えた。

 「ついに殺る気になったのかぁ?ってことは俺は悪人だと判断されたわけか」

 狩野は蔑むように、無防備に両手を広げる。
 その姿からは、刃物を向けられている事に対しての緊張や怯えは微塵も感じられなかった。
 射殺すように枯庭は狩野を睨みつける。

 「そうだ…あんたは悪人だ」
 「おいおい、酷いな。俺は勇敢にも大量殺人犯で未成年略取の変態野郎の極悪人を捕まえに来た善良な一般市民だぜ?お前が悪人、そんでもって俺様は正義の味方ってとこよ?」
 「あんたが正義の味方?ハハ…」

 枯庭は乾いた声で笑うと、唾を吐いた。床に落ちた唾が赤い染みを作る。

 「あんたは悪人だ!正義の味方なんかじゃない」
 「根拠は?」

 枯庭の叫びに、狩野は冷たい声で問いかけた。

 「僕の能力さ、僕の能力は邪悪を打ち滅ぼす為のものだ!」
 「お前なんかの能力でわかるのか?」
 「わかるさ!僕にはね!僕にはわかる。あんたは悪だ…僕達を惑わす悪魔だ!」
 「あなたなんかにわかる訳ない!」

 興奮が極限に達した枯庭に冷水を浴びせるように、唐突に真名が叫んだ。
 場が静まり返り、空気が冷える。
 枯庭は目だけを突然割り込んできた邪魔者に向ける。

 「わかるわけない…だってあなたの能力はー」

 真名は青く澄みきった奈落の底のような瞳で枯庭を捕らえ、告げる

 「ー『名前がわかる相手の居場所がわかる』ってだけの能力」
 「なっ…」

 枯庭の目が見開かれ、信じられないものを見るような目線が真名に注がれる。
 枯庭の意識がそれたのを逃さず、狩野は回し蹴りを打ち込む。
 意識の外から打ち込まれた蹴りが枯庭の手を打ち、握っていたナイフを吹き飛ばす。
 金属の刃が床に当たって欠ける甲高い音が響いた。

 「ぐっ、あっ…」

 手を押さえてかがみ込む枯庭を狩野が見下ろす。

 「ったく、クソガキが空気読まないで言っちまうから、俺の見せ場がなくなっちまったじゃねぇか」

 文句を言いながら狩野はジャケットの内側からプリントの束を取り出した。

 「まぁ、でもよぉ、せっかく作って来たからさ見てやってくれよ。これからは探偵物でいうところの解説編って奴だ」

 狩野は、プレゼンを始めるかのように手に持ったプリントの束を掲げた。

 「まずは一枚目、まぁ、てめぇのチンケな能力はこの一枚で説明できるんだけどよ」

 狩野の手には指名手配犯の名簿が掲げられていた。

 「枯庭君にはおなじみのこの名簿、五十音順に指名手配犯がリストアップされてるんだけども、まずはここから関東圏内で起きた事件の犯人だけを抜き出します」

 狩野は関東で起きた事件以外の犯人をマーカーで潰していく。

 「次に、この中から、罪状が無期懲役または死刑の人間以外を排除します」

 さらに推定される罪状が無期懲役または死刑以外の容疑者の名前を狩野は塗りつぶしていく。

 「で、犯行当時の年齢から考えて、死んでるっぽい奴も消しちゃうと」

 狩野が引いた線でプリントはほとんどが黒くなっていく。

 「さぁ、この名前に見覚えがあるかなぁ?あるよねぇ?」

 狩野は残った名前を丸で囲んだ。

 「はい。この名簿は五十音順です。で残った名前を上から順に見てくと、枯庭君が殺っちゃた一人目、二人目、三人目、四人目、五人目ってこと」

 狩野の説明に、枯庭は堪えるように歯を食いしばる。
 それを見て、狩野はますます愉快そうに口を歪める。

 「つまり、名前を見るとそいつの居場所がわかるのか、GPSみたいに地図上で確認できるのかわからねぇが、名簿を見て順番に殺していっただけって事だ。同じように犯行現場の周辺の家の名前を調べ犯行時に目撃者が出ないように調整し、現場の捜査官を確認、なんかしらの手で名前を調べりゃ逃げる事も簡単。鬼の位置が一方的にわかる鬼ごっこみたいなもんだ。いやぁ、今まで警察の捜査を逃れてきた奴をあっさり見つけたり、悪を見つけ出して裁く、悪人がわかるとか言うからどんなもんかと思って蓋をあけてみれば…くだらねぇ。大層な事を言っても名前が解んなきゃ何にもできねぇクズってこった」

 嬉々として狩野が説明を終えると、枯庭は自らを静めるように息を吐き出して、狩野を睨む。

 「確かに、僕の能力は、名前がわかる人間が何処にいてもその居場所を知ることが出来るというものだ。しかし、僕が裁かれずにいた悪を裁いたことに変わりは無い!僕は正義を代行したんだ!僕が正義を体現したんだ!」
 「でかい事言ってるけどよ。お前の正義なんてのは、正義ですらないんだよ。正義ってのはなぁ、信念をもって虐殺する事なんだよ。なのにどうだ?てめぇは空っぽだ。信念も無く受け売りの嘘っぱちでえらそうな事言ってんじゃねぇよ」

 狩野は蔑むような目を枯庭に向けると持っていたプリントの束を枯庭に放り投げた。

 「読んでみろ」

 枯庭は不審に思いながらも、プリントの束に目を通していく。
 一枚一枚読み進めていくごとに、枯庭の顔は青ざめ歯の根が合わなくなっていく。


 「神はいなくても悪魔はいるように、この世に悪は存在してても正義なんてこれっぽっちも存在してねぇんだよ」


 「うそだっ…こんなのは…こんなものはでたらめだ…」

 縋るような枯庭の視線に狩野は、破滅を楽しむ悪魔のように笑い―銃弾を放つ。
 追い詰めた獲物の、肉を抉り取り、骨を砕き、命を奪う銃弾―思想を破壊し、信念を殺し、心を終わらせる言葉を放つ。

 「お前が殺したばっかりの男《伊藤洋太》は冤罪だ。そのレポートに捜査ミス、見落とされていた証拠、アリバイ、歪曲された捜査方針。全て指摘してある。そのレポートの内容は真実だ。じきに正式な通告がなされる。いいか?《伊藤洋太》は冤罪だ」
 「うう嘘だ…こんなの…信じない…」
 「そんな事言う時点で信じちゃってんだろ?往生際が悪いぜ。捜査資料とレポートを照らし合わせてみりゃあ、いかに恣意的な捜査がなされていたかアホでもわかるんだからよぉ」
 「こんなのはっ…こんなのは間違いだ!」
 「だから間違いだって言ってんだろ?警察とお前のよ」
 「ぼ…僕は……」
 「自分の信念も持たず法律と権力と常識と公式を鵜呑みにすっからそういうことになるんだよ」

 狩野は獲物に止めを刺す。満面の笑みで息の根を止める。

 「罪無き人間を殺したお前は、ただの、殺人犯だ!」
 「          」

 枯庭豊は声にならない声をあげ、崩れ落ちた。
 魂を失ったかのように蹲るその姿は、生理的な嫌悪感を覚えるほど、惨めで、卑しく、虚しいものだった。

 「しっかり、裁きを受けるんだな、犯罪者」

 枯庭の背中を叩くと、狩野は背を向けた。
 遠くに聞こえるサイレンの音が、倉庫内にも小さく聞こえた。



 男は光の無い暗い階段を降りていた。
 二段先も見えない暗闇、踏み外したら何処まで落ちるかわからない闇、奈落の底に向けて男は階段を降りていく。
 まるで通い慣れた道のように男はしっかりとした足取りで階段を降りていく、そこからは恐怖も、迷いすらも感じられない。
 やがて、階段を降りきった男は真っ黒なドアを開けて中に入る。
 その部屋には窓が無く、闇に包まれていた。
 その部屋の真ん中、椅子に座った男がスポットライトに当てられたように浮かび上がっている。
 椅子に座る男の前には取調室の様な簡素な机、部屋に入った男はそれを挟むように椅子に座る男と対面した。

 「彼庭豊君だな?」

 枯庭豊と呼びかけられた椅子に座る男が生気の抜けた顔で対面に座る男を見る。

 「私は貴君を買っている。貴君は我々が力及ばず裁くことの出来なかった悪を見つけ出し、自らが法を犯すこともかえりみず、勇敢にも正義の鉄槌を下した」

 男の言葉に、枯庭は大きくかぶりを振る。

 「僕はそんな大層な人間じゃありません。正義を語り罪の無い人間を殺した…僕こそ悪です」
 「《伊藤洋太》の事を言っているのかね?」
 「僕は!僕はどうしたら!どうやったら…償える!彼を殺した!僕は!どうしたら!」

 半狂乱で頭を掻き毟り、血を流す枯庭に、男は優しくそれでいて芯の通った声で語りかける。

 「確かに《伊藤洋太》は冤罪だった。しかし、その件だけだ。彼には多くの前科があり、ゆえに容疑者として上げられた。前科の中には許しがたい罪状も多い。悪人といって差し支えない犯罪者だ。つまり、貴君の判断はなんら間違ったものではなく正しく悪を罰し、正義を遂行した」

 男の言葉に枯庭は言葉を失い、男を見つめた。
 その瞳には生気が戻り光が宿りかけていた。
 男は枯庭に語り続ける。

 「貴君は決して間違っていない。悪は裁かねばならない。正義は存在する。正義のために貴君の力を我々に貸して欲しい。貴君の特別な力を貸してもらえないか」

 魅入られたように見つめる枯庭に男は事務的に説明を始める。

 「貴君の事件は報道されないし、裁判も行われない。もちろん貴君は服役することは無く、私の指揮下に入ってもらう、詳しいことは後日担当の者に説明させる」

 枯庭は男の言葉に目を彷徨わせる。

 「まだ決断できないようだな」

 男がそういうと部屋のドアが開き、何者かが塊を枯庭の足元に転がす。
 悶えながら動く塊は手足を縛られ口を塞がれた人間だった。
 それも枯庭には見覚えのある人間、忘れたくても記憶にこびりついているその顔。

 「貴君の妹を殺した男だ」

 男が目を移すと、枯庭の顔には今まで抜け落ちていた感情がめまぐるしく走っていた。
 男は懐から一丁の銃を取り出し、枯庭に握らせた。

 「両手でしっかり持って引き金を引けばいい。初心者でも扱える代物だ」
 「ぼ、僕を試しているのか?」
 「あぁ、試している。君がこの男を殺すかどうかを返事として受け取ろう。殺すなら是。生かすなら否」

 条件だけ告げ立ち去ろうとする男を、枯庭は呼び止める。

 「あ、あんたの名前は?」
 「高瀬明。枯庭豊君、いい返事を期待している」

 高瀬は部屋から出ると階段を上り始めた。
 暗闇の中の階段を―
 ―しばらくすると高瀬の耳に闇の底から慟哭と銃声が聞こえた。



File 1 : 正義の執行者 ―hypocritical confidence― 終

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