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ワールドコード
『狩野ESP研究所』は研究所というより事務所に近い。
狭苦しい雑居ビルの一室、ドアをあけるとまず、いかにも座り心地の悪そうなクッションの薄いソファと応接セットがあり、右の壁は超能力関係と思しき研究書やスクラップブック、雑誌や、新聞が詰め込まれた本棚に占められ、左の壁は得体の知れないタイトルのついたグラフや悪趣味な色で塗り分けられた地図などが強迫観念にとらわれたように隙間無く貼られている。
部屋の奥には給湯室や仮眠室に続く薄いドアがあるが、その手前、応接セットとドアの間、入り口を開けてすぐ目に入るところに大きい事務机が置かれている。
その机の上に足を乗せながらけだるそうに、それでいて眼光だけは異常に鋭く光らせた男が性格の歪みがそのまま現れたように口の端をつり上げ、真名に声をかける。
「なんでこんな時間にお前が来るんだ?まじめに学校通えよクソガキ」
「今日は午前授業だったの!サボったわけじゃないです」
「あんだよ、せっかく早く終わったんなら遊びにでも行きゃあ良いじゃねぇか。別に待ってねぇぞー」
「昨日、遅刻すんなって言ったのは狩野さんでしょ!」
「だからって早く来いとは言ってねぇよ。なんだ?不器用か、お前は?ピッタリに来いピッタリに」
「っ〜、ああ言えば、こう言う!大体ピッタリって何時ですか!いつも学校が終わったら来てるし、時間なんて決まってないでしょ」
「おぉ!じゃあ、ちょうど今がぴったりか、偉い偉い。ご褒美にアメちゃんをあげよう」
「いりません」
返事を聞く前に男は真名に向かってぞんざいに飴玉を放った。
真名はそれを受け止めると、包装を破り飴玉を口に入れる。
「…結局、舐めるのかよ」
「なんか、文句でもあるんですか?…しかも、この味!なに?なにこれ?」
「きな粉味」
「おいしいですね」
おいしいのかよ…とうんざりした顔で男は溜息をついた。
飴玉の意外な美味しさに機嫌を直しつつも、真名は男を睨みつける。
手入れのされていない癖毛でボサボサの髪、まるでセットの様な目の下の隈と無精ひげ、安物のスーツをだらしなく着ているその様は真っ当な人間とは思えず、若者と呼べる年齢にも拘らず身に纏った退廃的な雰囲気、生気の無さの中で、目だけが獲物を狙う猛禽類のように光っている男。
他人を見下すような高慢な態度と、全てを馬鹿にし嘲るように歪んだ笑みを浮かべた男の名は狩野恭一《かりのきょういち》、真名の上司であり、所有者であり、飼い主。
人を怒らせるのが、趣味みたいな男、それが真名の狩野に対する評価だった。
「さっきの…仕事の依頼じゃなかったんですか?どうせ、怒らせて追い返したんでしょうけど!まったく、たまには働いたらどうですか?」
『ESP』-extrasensory perception-超感覚的知覚、超能力の一種。
つまり、看板にでかでかと超能力研究所などと掲げているこの『狩野ESP研究所』には当然ながら滅多に来客が無い上に仕事などほとんど無かった。
来客があったとしてもほとんどが興味本位の冷やかし、もしくは妄想にとりつかれた自称超能力者だった。
それらの来客の事ごとくを狩野はろくに話も聞かず、馬鹿にし、怒らせて返してしまう。
したがって、狩野は一日中、研究所でダラダラ過ごし、真名の仕事もほとんどゼロに等しい。 そのため、彼女はよく学校の宿題などをして過ごしていた。
「あぁ、なんかTVのバラエティ番組の取材とか言ってたっけなぁ」
興味無さそうに生気の無い声で狩野は答える。
「滅多に無い宣伝のチャンスじゃないですか」
「やだよめんどくせぇ、宣伝なんてめんどくせぇ事して余計な仕事が増えたりしたらそれこそめんどくせぇ、それともあれか?お前TVに出たかったとか?美少女超能力者〜なんつって、アイドルデビューでもする気か?バカか?パーなのか?」
「そんなつもりで言ったんじゃありません!」
冷やかすような狩野の言葉に、真名は怒気を含んだ声で答えるが、狩野はどこ吹く風で、落ち着けとやる気のないジェスチャーをした。
余計に人を怒らせるような態度だったが、真名も慣れたもので、フンっとそっぽを向いて答えるだけに留めた。
「子供かお前は…いいんだよ、仕事なんかしなくったって、無駄に金使って赤字を出すのが俺らの仕事なんだからよ」
『狩野ESP研究所』はこの国どころか世界の中でもトップ企業である『天城グループ』の出資によって経営されている。
赤字経営の子会社を持つ事によって出資会社の税金が優遇される。
つまり、税金対策のための、赤字前提で経営されているのがこの研究所だった。
真名は何度聞いてもよく分からなかったが、その度に「そういうことだからいいんだよ、俺も詳しい事はわかんねぇし、どうでもいい」と狩野に言われるため、釈然としないながらも納得していた。
「それにしても、少しは仕事した方がいいと思うんですけど…お金のためだけじゃなくて」
ダメ人間の代表の様な生活を送る狩野を見ていると真名は切実に思う。
「うるせぇな、真面目ちゃんかお前は、学級委員か」
「…美化委員」
「いや、そういうことじゃないんだが、いいか?お前、この研究所見てどう思う?」
「胡散臭いです」
「そうだろ?だからいんだよ」
狩野は乾いた笑いをこぼして続ける。
「こんなうさんくせぇ所に来るのはよ、真っ当な所じゃ相手にもしてもらえないような連中だ、つまり、頭のイカレてる連中か、もしくは―」
そこでいったん区切ると狩野は腐ったコールタールのような憎悪に満ちた声を吐き出す。
「―本物の超能力者」
真名の全身に悪寒が走り、背中を冷や汗が伝う。
「か…狩野さん…」
真名の後ろ、研究所の入り口、来客を迎える事などほとんど無いその扉からノックの音が響いた。
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