4 :ワールドコード

 「どうぞ」

 狩野は罠にかかった獲物を見る様な狡猾な笑顔で答えた。

 「…失礼します」

 開いた扉の先には若い女性が立っていた。
 年齢は二十台前半、スーツを着てはいるが着慣れている感じは無く、就活生か新社会人という印象を受ける。

 「どうぞ」

 狩野は立ち上がりもせずに命令するように目の前のソファを指差した。

 「はい…失礼します…」

 ソファに腰掛ける女性を狩野は隙の無い視線で観察する。
 肩に届かない程度の髪、黒いスーツの下は白いYシャツ、スカートは長くも短くも無い、化粧は薄くナチュラルメイク、真面目な優等生といった印象だが、就職活動中だとするならばそういった印象を与えるようにしているのかも知れない。
 顔立ちは普通、少したれ目がちではあるが取り立てて特筆すべき点は無い。
 目立つところの無い没個性的な女性だったが、狩野は一つ彼女の特徴を見つけた。

 (こいつは餌だ)

 無意識に狩野は口を歪め、その端から歯を覗かせる。
脳みそが赤黒く染まってしまいそうなほど暴力的な思考を常に巡らせている狩野にとって、人間は喰う側か喰われる側の二つに大別される。
 喰われる側の人間の中でも特に犯罪に巻き込まれやすい人間、狙われやすい人間というものがいると狩野は思っている。
 目立つわけでもなければ、特に何か行動したわけでもない、それなのに通り魔にピンポイントで狙われてしまうような人間、人の悪意を向けられやすい人間。
 喰われるために生まれてきたような人間。
 狩野は目の前のソファに座る女性をそう判断した。
 緊張で強張る女性の瞳は、普段、研究所に訪れる人間のように病んだり欠けたりして狂気に染まったものとは違い、正気を保ち、強い覚悟に彩られていた。

 (聞くだけ聞いてもよさそうだ…それに…)

 狩野は来客と同時に、机の隣に移動していた真名の方に目線を移す。
 真名は目を見開き、冷や汗を流して縛り付けられたように立っていた。
 金縛りにあったように体を強張らせ、ありえないものを見ているような、そんな表情をしている。

 (コイツがこんなになってるってことは本物の可能性が高い、少なくてもそれ絡み…)

 内心で牙を光らせながら、高まる期待を押し殺し、軽い口調で狩野は真名に声をかける。

 「おい、ぼさぁ〜っと突っ立ってないで、客に茶の一つも出せっつうの」
 「え!は、はい」

 まるで後ろから突然、声をかけられたように真名はびくりと体を震わせる。

 「いえ!お気遣い無く…どうせ飲めませんから」

 慌てて部屋の奥、給湯室に向かおうとした真名を、来客の女性は慌てて止める。

 (飲めませんから…?)

 狩野は、女性の妙な言い回しを聞き逃さなかったが、それよりも話を進めることを優先することにした。

 「それで?今日はどのようなご用件で?」

 狩野は姿勢を正すも、来客に対する態度とは思えないほど横柄に訊ねる。

 「あの…実は…」

 「あぁ、いや、その前に、お名前をお聞かせください」

 自ら質問しておいて、答える前に別の質問をぶつけて相手の話を遮る。失礼極まりないが、狩野が良く使う手の一つだった。
 相手の出鼻を挫き、不快感を与える事で相手の心を波立たせ理性を乱す。そうして会話の主導権を奪う。

 「あ…はい…私、枯庭雫《かれにわ しずく》と申します。あの…」

 戸惑いながらも女性―枯庭雫は答え、遠慮がちに狩野と真名に目線を送る。

 「私は所長の狩野恭一、こっちのガキは助手の一条真名」

 今更聞くのか?と言わんばかりに狩野は気だるげに答える。

 「…えっと…」

 枯庭雫と名乗った女性は、戸惑いがちに真名の方を上目使いで窺った。

 「あぁ、あと裏にもう一人、主に情報収集をやらせてる引き篭もりの所員がいる」
 「いえ、そういうことではなく…」

 申し訳無さそうに雫は真名に視線を送る。
 明らかに場違いな制服姿の少女を疑問に思うなという方が難しい。

 「心配しなくてもこいつは使える」

 当然ともいえる質問に、これ以上の説明はしないとばかりに、めんどくさそうに狩野は真名を指差す。
 真名は狩野の方を見て、誰も、本人さえも気づかない程度に口元を緩ませ、雫の方に向き直ると小さく頷いた。
 雫は疑うように、しばらく真名を見つめた後、何かに気づいたように目の色を変えた。

 「そう…あなたも…」

 雫は独り言のように静かに呟くと、覚悟を決めるように目を閉じる。

 「兄を…止めてください」

 なにかを堪えるように言葉を吐き出す雫の様子を、真名は気遣わしげに見守り、狩野は嬉しそうに眺める。

 「止めてくださいって言われても、全く話が見えませんねぇ、訳がわからない!もっと詳しく、順を追って説明してもらわないと、私は超能力者じゃないんでね」

 気持ちを整えるのを潰すように、その間すら惜しいと言うように、狩野は話の続きを急かす。

 「…二ヶ月前に一件、先月に二件、殺人事件があったのを覚えていますか?」
 「人はいくらでも死ぬし、殺人なんてそこらじゅうで起きてる」
 「二ヶ月前は長野、先月は茨城と東京…ニュースにもなってました…」
 「あぁ?すぐには思い出せねぇなぁ。で、その殺人事件がどうしました?」
 「ニュースにはなってませんが、その三件は連続殺人で…」
 「その犯人が、あなたのお兄さんだと」
 「……はい」

 唇を噛み締め、雫は頷いた。
 消え入りそうな、それでいて強い意志の篭った雫の声を聞いて、狩野は椅子の背に体重をあずけ天井に向かって溜息を吐く。

 「なるほど…その話が本当だとして」
 「本当です!」
 「本当だとしてだ、何故うちに来る?殺人犯を捕まえるのは警察の仕事だ。しかも犯人がわかってる、簡単な仕事だ」
 「警察には…警察では兄を捕まえる事なんてできません」
 「おいおい脳みそ沸いてんのか?うちは興信所じゃなく『研究所』。犯人を捕まえたりはすんのは仕事じゃないんですが?」
 「警察に協力してもらえるだけでもいいんです。居場所を通報するとか…情報を提供するとか…それに…聞きました」

 そこまで言うと、雫は深く息を吸い込み、深淵を覗き込むように、堕ちる一歩を踏み出すように、禁忌を、言ってはならない事実を口にする。

 「この『研究所』は…超能力者を”狩って“いると」

 その言葉を聞いた瞬間、狩野の顔は、およそ醜悪というものを越えた、凄惨な表情を見せた。
 しかし、すぐにそれを消すと狩野は雫に向かいなおす。

 「まずはお兄さんの事を聞きましょうか。あぁ、名前とか」
 「兄の名は、枯庭豊《かれにわ ゆたか》、とても正義感の強い兄でした」
 「正義感の強い人間が連続殺人?酷い矛盾だ」
 「兄は悪人が分かると言っていました。害悪をもたらす人間、裁かれるべき人間が兄には分かると」
 「とんでもない誇大妄想だ。裁かれるべき人間?何様のつもりなんだよ」
 「私も…そう思います。ですが、本当なんです!それがここにきた理由です」
 「超能力で悪人を殺しまわっているとでも?」
 「はい…これはまだニュースにはなっていない事なんですが、先月、先々月と殺された三名はいずれも殺人や強盗、凶悪事件の容疑者です」
 「どういうことだ?枯庭豊の力と何の関係がある?」
 「兄の殺した三名は容疑をかけられていながらも警察の手を逃れ、今まで足取りが追えず、事実上、捜査が止まっていた人たちです」
 「枯庭豊は超能力でそいつらを見つけ出して殺した」

 (今まで誰にも見つけられなかった人間を見つけ出して殺す。裁かれる人間を裁く…か、確かに不可思議だ。しかし、超能力によるものといえるかどうか…悪人が分かるというのであれば一応、説明はつくか…)

 狩野が考えを整理するために黙ると、雫は応接セットのボロテーブルの上に封筒を置き、わずかな沈黙の間に逃げ出そうとするように席を立った。

 「私の全財産です。相場は分かりませんが、100万はあると思います。」

 だから、お願いします。と雫は深く、頭を下げる。

 「そんなに受け取るわけには、それに全財産って」

 真名が慌てて声をかけるが、顔をあげた雫は少し哀しそうに微笑んで首を振った。

 「いいんです、私にはもう必要の無いものですから」

 そう言って背を向けた雫に真名は何も言う事ができなかった。

 「ちょっと待て、なに言いたいことだけ言って帰ろうとしてんだ?あ?俺は引き受けるなんて一言も言ってねぇぞ?」

 狩野は無感情な声色で雫の背中に言葉を投げる。

 「…あなたは必ず引き受けます」

 振り返ることなく告げられた雫の言葉に狩野は舌打ちを返す。

 「それにしたって、話はまだ終わりじゃねぇ、枯庭 豊の潜伏先は?居場所に心当たりは?」
 「わかりません…二年前から兄は消息不明です」

 帰るために研究所のドアを開けながら答える雫に、狩野は食い下がる。

 「さっき、ニュースになってない事って言ってたな?なんでそんな機密事項を知っている」
 「…分かるからです」

 振り返った雫の頬は涙で濡れていた。
 やるせなさを滲ませた声が雫の口から零れ落ちる。

 「兄は正義感の強い人でした。兄は許せないんです。罪を犯しながら裁かれない人たちが、犯罪者が、憎くて憎く憎くて堪らないんです。殺したくて、引き裂きたくて、磨り潰したくて、消し去りたくて仕方ない…2年前、私が殺されてから、ずっと、兄は私の復讐をしているんです。どうか、どうか馬鹿な兄を止めてやってください」
 頬を濡らしたまま、強がるように笑うと彼女はドアの向こうに消えた。

 「ちょっ、待てこら!」

 雰囲気に飲まれていた狩野は、ドアが閉まる音で我を取り戻すと急いで雫の後を追う。
 しかし、ほとんど蹴破るようにして開けたドアの向こうには雫の姿どころか、階段を降りる足音も無く、およそ生き物の気配というものが感じられなかった。
 ―2年前、私が殺されてから…
 狩野は背筋に悪寒が走るのを感じた。

 次ページへ


HOME