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ワールドコード
外からは何があったかわからないが、中で何かがあった事だけは誰から見てもわかる場所、頼りない黄色いテープが人の立ち入りを阻み、青いシートが入り口を覆って視界を阻むアパートの一室。通りがかりに見ただけで築年数がうかがい知れるような外見どおりの部屋の中で一条真名は佇んでいた。
ところどころ剥がれた内装に生々しい手形が残る壁、変色した血液が染み込んでいる畳、捜査のための印が各所に設置された部屋の中を、真名は特に調べるわけでもなく、ただぼんやりと眺めている。
まるで何も見ていないような視線で―
人とは違う何かを見つめているような―
見ているという表現自体が根本的に間違っているような―
見ているというよりは視ている、視ている以上に観えている―
それこそ異常に―
真名の瞳は色を変えていく、黒から青へ、碧眼とも違う色合いに変わっていく、それは海の色をしていた。
それは、透明でどこまでも透き通る青、どこまでも透き通り見える筈なのに、一向に底が見えない海の色、崖から下を覗いたときの様に背筋が強張り、足から力が抜けてくような根源的な恐怖を呼び起こす畏怖の色へと変わっていった。
そうして部屋に立ち尽くす真名は、存在感が希薄で、それでいて部屋中に存在が拡散しているような不思議な雰囲気を漂わせていた。
その後ろ姿を、二つの影が見つめている。
部屋と台所の敷居から真名を見つめる一つは、ポケットに手を突っ込みだらしなく壁にもたれかかり、もう一つはそれが自然体であるかのように背筋を伸ばして部屋の中を見つめている。
対照的な二人の男。
壁にもたれかかりながらも顔だけは部屋の方に向けた姿勢のまま、狩野恭一は隣の男―微動だにせず直立不動の姿勢を保っている高瀬明に声をかける。
「悪いねぇ、出来立てほやほやの現場から人払いしてもらっちゃってさ」
「貴様が天城の人間でなければ協力などしていない」
「だから、無理を通して申し訳ないねって言ってんじゃん」
「謝罪の言葉は万分の一でもそう思ってから口にするんだな」
「ハッ、お前の手柄にも貢献してやってんだろ?それにしても捜査員を問答無用で追い出せるなんてどんな役職なんだよ」
「いつも言っているが機密事項だ」
「まぁ、別に、お前が何々だろうが使えるんならそれでいい」
「同感だな。貴様に有効価値があればそれでいい」
お互い部屋の中の真名を見つめたまま、一度も視線を合わせずに会話を続ける。
「で?どうなのよ?捜査状況ってのはよ」
「進んでいるとは言いがたいな。殺害方法は絞殺、刺殺と統一性がない。前三件と今回の件でやっと被害者がいずれも量刑の重い指名手配犯であるという関連性が疑われる程度」
「刺殺や絞殺?」
「そうだ、貴様が期待するような特殊で不可解な方法ではない。成人であれば誰でも可能な方法、それもプロではなく素人の犯行だ。時に被害者からの抵抗を受けている。ただし、恐ろしく計画的だ。現場に証拠を残さないよう用意周到に計画され実行されている。それでも素人の犯行だ。所々で被害者の物ではない毛髪や皮膚、服の繊維などを遺留品として残している。鑑識にまわして調べさせているが何せ時間がかかる。決め手になるような証拠は出ていない」
「今の話だけなら、お前は俺を現場に入れたりしない。なにがある?」
「…一番の問題として被害者が特殊だという事だ。我々、警察が探し回っても確保できなかった指名手配犯をあっさり見つけ出し、殺害している。現場の状況から、何日かにわたり、被害者を殺害する機会を伺っていたような形跡まである。次に、未だ目撃証言を得られていない。殺害方法は素人にも関わらず、目撃者を回避している。不審な音や声などの情報提供すら得られていない。まるで被害者以外が周辺地域にいないのを知った上での犯行に思える。情報提供者0など不可能に近い」
「はっはぁ、なるほど?結局、何もわかってないに等しいって事じゃねぇか。何やってんのよ」
「だからこうして現場に入れるようにしてやっている」
高瀬はちらりと視線を狩野に移す、その視線を横に受けながら、それでも視線を返さずに真名を見つめたまま、狩野はここに到るまでの経緯を説明する。
「―っとまぁ、死んだ後にも関わらず、妹がおせっかいにも、うちにそんな依頼をしにきたってわけだ。んな暇があるならとっとと成仏しろボケって話だが、最終的には消えたし、どうなったかは知らねぇ」
「貴様の話が本当だとすると犯人は枯庭豊という名の男か」
「本当だって、俺は嘘を吐いた事がない生きる奇跡みたいな男よ?」
「本気で言っているなら精神疾患や脳の機能、特に記憶をつかさどる部分に問題が生じている疑いがあるな、いずれにしてもいい病院を紹介しよう。腕のいい医者に治療してもらえ」
「今回はホントの話だって、隠蔽も情報操作もなし、ありのままに赤裸々」
「そうだとしても、それだけじゃ参考程度にしかならんな。枯庭豊が犯人だとしても貴様の話だけで容疑者としてあげる事はできない。証拠がでれば別だが。貴様が提供できるのはそれだけか」
「それだけの事もわからなかった無能な集団には貴重な情報だとは思うけど、まぁ、今のところはそれだけだ。だから真名を連れてきてやってる」
お互いに相手を値踏みするように視線を交わすと二人の男はすぐに視線を真名の佇む部屋に戻した。
「つまるところ、一条君の力とはなんだ?」
高瀬の質問に狩野は言葉を選ぶように少し沈黙し、答える。
「俺も正確なところはよくわからねぇ、ただ、俺達が感じられ無いものをあいつは感じることができる、俺達にわからないものが、あいつにはわかる。犬は人間にはわからない匂いを嗅ぎ分けられる。人間には聞こえない音が聞こえる、そんなようなもんだ」
「つまり、嗅覚や聴覚などの五感が我々よりも非常に発達したものだということか」
「あぁ、例が悪かったな。そうじゃない、そうだな一般的にいわれる第六感と別ものだが、五感とは違う六番目の感覚、俺達にはない感覚器官があるような感じか…実際俺はあいつじゃねぇからわからんが、とにかく、俺達にはわからない事を感じとって違和感を調べられるつまり、もし、今回の場合でいうと枯庭の野郎が、俺達とはちがう特殊な、そう、超能力を使ったとしたらその痕跡を感じることができるってこった」
「なるほど、虫の触覚や、蛇のピット器官、蝙蝠の超音波のような五感とは違う我々には無いものをもっているか。それで?違和感といったか?超能力使用の有無を調べてどうする」
「あぁ、だから、その超能力の痕跡の手触りっつうか感触?そいつを分析して上手くいけばどんな能力かわかる。上手くいかなくても追跡できる。それこそ猟犬みてぇにな」
口の端を歪ませる狩野を横目で見て高瀬は独り言のように感想を呟く。
「違和感の把握…それをもとにした追跡…違和感を把握できるという事はそれ以外も感じる事ができる…漠然としている―」
「わかりずれぇんだよ、俺も何回か聞いて諦めた」
「―が、興味深い…そうだな、まるで世界そのものを感じる能力と言えるか…」
高瀬の言葉に狩野は目だけを動かして、いかにも堅物といった表情の高瀬を見た。
腹の底を探るような狩野の視線にも高瀬は眉一つ動かさない。
「何だろうが構わねぇさ、重要なのは俺にとってあいつは役に立つ。それだけだ」
吐き捨てるように言って狩野が視線を部屋に戻すと、視線の先では一仕事を終えたように真名が大きく息を吐いていた。
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