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ワールドコード
「なにを隠そう、貴方の父親は天城天厳《てんじょうてんげん》、世界をまたにかける大企業、日本の産業界の60パーセント以上を牛耳ると言っても過言ではない、現代に蘇った大財閥とも言われる天城グループの会長、総帥、皇帝!まさか、そんなビックネームが出てくるとは私も夢にも思いませんでした。アメイジング!私の『完全読解』を用いずとも様々な逸話を耳にする有名人!ですから『完全読解』で読み取った事以外にも私が知りうる内容を混ぜて語らせて頂きましょう。確かに苗字は違いますが、貴方の父親が天城天厳であることは紛れもない事実。何故なら英雄、色を好むとでも言いましょうか。彼には戸籍上、婚姻関係を結んでいる女性の他に、十一人もの女性とも関係を持っていた。つまり、正妻の他に愛人が十一人もいた。さらに彼はその強烈な遺伝子を全ての女性に残した。これだけ聞くとただの見境なしの浮気野郎という事になるのですが、彼の傑物たるゆえんは全ての愛人の面倒をきっちりみた。衣食住はもちろん何不自由なく暮らせるように経済面含め心を配り、何より、愛人との間にできた全ての子供を認知し、遺産の相続権や天城グループ内での地位を約束した。我々の国では重婚は認められておりませんが、しかし、まさにハーレムを創り上げていたのです。いやぁ、まさに羨ましい限り、男なら一度は夢見るロマンを実現していたのですからね。憧れますな。は?ただのクソジジィですと?確かに今年で齢八十を越えたご老体ですが、しかし、今なお財界を牛耳り、この国を動かす権力者の一人として君臨しているまさに怪物です。おっと、話が逸れてしまいました。今は天城天厳ではなく、貴方の話を進めましょう」
狩野の苦々しい表情を見て樋成は天城天厳の話題をやめ、話を先に進める。
「さて、そんなハーレムキング天城天厳の9番目の愛人の子供として貴方はこの世に生を受けます。貴方の母親は天城天厳に寄りかかるのを良しとしなかった。貴方が困らないように最低限の援助は受けていたものの、自分ひとりで貴方を育てようとした。他の愛人の子供と比べて貴方は裕福とはいえない環境に育った。しかし、その代わりと言ってはなんですが、貴方は母親の愛情を十二分に受けて育った。このハンカチから、苦しい時でも笑顔を見せる母親の記憶が私にも見えました……母は強し!やはり女性には男は頭が上がりませんな、ハハハハハ!」
狩野は何も言わず、ただ樋成の話を聞いていた。樋成のわざとらしい笑い声が虚しく響いた。
それでも樋成は気にすることなく、興奮した調子で話を続ける。
「母子家庭ながら貴方は母親の愛情を一身に受け健やかに成長した。保育園のお遊戯会で主役を演じた時……おや、その話はいいですか。ならば止しておきましょう。そんな幸せな記憶を全て覆すような事が貴方の身に降りかかるのですから」
そこまで話すと、樋成は一度、言葉を切り、目を瞑ってハンカチの上に置いた右手に力を込める。
静かに唸り声を上げ、右手に意識を集中した後、大きく息を吐き、再び、口髭の下の口を動かし始める。
「貴方が中学生になろうかという頃、その異変は起こり始めた様ですね。暗黒の時代。貴方が今なお苦しめられている現象の始まり。そう、その頃から、貴方は度々、幻覚に襲われるようになる。それは不定形で、不愉快な、不安定を、不定期にもたらす悪夢。時間を問わず、場所を問わず、条件を問わず、倫理を無視して、貴方の精神を掻き乱し、混濁させ、捏ね繰り回し、引きずり倒し、磨耗させ、衰弱させる幻覚」
例えば、と呟き、樋成は全身を何かに耐えるように震わせ悪夢を語る。
「登校中の茂みから見つめる血まみれの赤ん坊校門を隙間無く埋め尽くすカエル寝る前枕元に昇る太陽花は咲き乱れ笑い続け毛穴からはコールタールが流れ出すウサギの目玉はシャボン玉なけなしの優しさで人が死ぬ全てを知ってる奇形の頭は働き者で溶けていく体を動かす千匹の蟻はその二割が熱射病無慈悲な王は傀儡で悲しみのあまり笑ってる平和を生産する部屋の隅従業員は痩せた豚口から這い出る吸殻は血塗れな為に良い香り扉を開けたら臓物の中触ったそばから黴ていく愉快な叫びはサイレンで群がる子供が轢かれてく後に残るは潰れた猫で生ごみは建築材に再利用積み上げられた群集を弱者が間引いて売りさばく差し出す紙幣は境遇を嘆き極彩色の小銭は甲殻類這って蠢き殺し合い声を出すたび皮膚が裂け鏡の向こうは反抗期デモが掲げる平等でみんな死体の仲間入り高温で揚げた幸福は中身が生で食あたり吐き出されるのは歯車で欠けた体は動かない一晩の体感は百年で邯鄲の夢はただの詐欺気力を奪う新兵器二十四時間稼働中休みがないのは夜が無いから湧き出す怒りは睡眠不足引き出しの中には犬の生首病んだ瞳で見つめてる保健所の中は湿って濁り光り輝くウスバカゲロウ今日の夕日は明日の惨劇哀しい気持ちが腐って堕ちる制御できない胃酸によって歯茎が全部爛れてく捻った蛇口は呪詛を呟き流れる水は赤紫食卓は常に阿鼻叫喚罪悪感を掻き立てる泣き叫んでも一人も聞かず瞼を閉じても脳裏に映る寝ても醒めても夢の中どちらが現実かわからない暗転、覚醒、幻覚、現実、暗転、覚醒、覚醒、暗転、上昇、下降、前後不覚の右往左往」
樋成は自らに喝を入れるように、唸り声にも似た音を発した。
樋成自身が幻覚に飲まれまいかとするような行動。
汗を手で拭うと、樋成はソファに身を預け、深呼吸し、幻覚が生んだ結果を口にする。
「貴方は自覚した。自らが狂ってしまったのだと、それは誤解なのですが、まぁ、仕方ありません!当時の貴方は我々の様なスペシャルな存在を知らなかったのですから!自らの頭がおかしくなったと思うのも致し方ない事だった……貴方は自分自身を疑い、あえて専門施設に収容される事を望んだ。そして、貴方は天城傘下の精神病院に入院させられる事になった」
「ほぉ、俺が精神病院に収容されてた記録やら何やらは兄貴が全部消してるはずなんだけどなぁ」
樋成が口に出した過去について、狩野は感心した態度を示した。
「貴方が兄と呼ぶ唯一の異母兄弟……進藤直人《しんどうなおと》……」
樋成は狩野が兄貴と呼んだ人物の名を呟くと肩を振るわせ始めた。
今までのように恐怖に耐えるものではなく、笑いを、溢れ出す喜びを堪えるように樋成は肩を震わせ……
「フハハ、フハハハハハハハハハ!堪え切れませんな!これが笑わずにいられるでしょうか?私にはインポッシボゥ!進藤直人と言えば、天城天厳の正妻の娘、まだ学生である天城良子に代わり、天城天厳の後を継ぐ、天城グループのナンバー2!現在、実質的にグループを動かしている男!HAHAHAHAHAHAHA!確かに進藤直人ほどの権力や財力、“力”を持つものなら、貴方の入院記録どころか、過去の記録全て、戸籍すらも抹消し、改竄する事が出来るでしょう!しぃかぁしっ!私の『完全読解』の前には無意味!私のパーフェクトな力の前ではあらゆる権力による、あらゆる情報操作が無意味!いかに真実を覆い隠そうとも私の前に真実を曝け出す他無いのです!フハ、フハハハハハ」
「うるせぇ、余計な装飾はいらねんだよ、てめぇの知ってることだけとっとと話せ」
「正確には“知ったこと”です。私の力でね」
「あー、はいはい、そうだな。で?とっとと次いけ」
心底、面倒くさいといった態度で、携帯電話を開きながら、狩野は熱弁する樋成の方を見もせずに、話を続けろと手を振った。
そんなふうに、蔑ろにされても樋成は特に態度を変えることも無く、口元を大きな笑みに形づくり続きを語り始める。
「自分がおかしくなったと思い、自ら入院する事になった貴方ですが、その入院生活において周りの入院患者と自分との違いに貴方は気づき始める。入院当初は幻覚に精神を乱され衰弱していた貴方も次第に周りを見る余裕ができ、聡明な貴方は周りの患者を観察し、精神疾患の症状や、その状態を、自分自身と照らし合わせて分析しました。そして分析すればするほど、貴方とほかの患者との差異が明確になっていく。貴方は自分の身に起こっていることの原因は精神疾患では無いのではないかと、自分がおかしくなった訳では無いのかと考え始めます。ハハハハハ、客観的に見ればそれこそ末期になったと思われてもおかしくありませんな。しかし、事実、貴方は幻覚に襲われる事以外、カウンセリングでも心理分析やテストでも、果ては脳波や身体的な疾患の可能性を調べ、精神的にも肉体的にも重箱の隅をつつくような検査の結果を見ても特に異常は見られなかった。そして、不可思議なのは、病棟内にいるときや検査の時には全くと言っていいほど幻覚に襲われる事が無く、幻覚に襲われるのは、決まって退院決定のための最終検査の診断中でした。医師たちは病院から出たくないという心の現われ、隔離された病院内とは違う一般の社会、外界に対する恐怖心が幻覚を生み出していると理由付けをした。しかし、貴方は幻覚の意味を理解していた。つまり―
―自分を病院に閉じ込めておくために幻覚を見させられているのだと」
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