4 :
ワールドコード
画面越しに、樋成の声を聞きながら、ミハエルはキーボードに指を走らせる。
片手で全ての入力が出来るようにカスタムされたキーボードが、耐える事のなく入力される命令に歓喜の声を上げ続けている。
ミハエルは、常人には読むことのできない速度で、滝のように流れる情報を目に映していく。
しかし、目当ての情報を見つけることは出来ない。
(狩野の入院の記録は……見当たらないか。隠蔽されてると言うより完全に抹消されているな。無いものはさすがに僕でも見つけられない)
ミハエルは忌々しげに眉を顰めた。
ミハエルは狩野と樋成の会話をモニタリングしながら、自らも語られる内容についての情報を検索していた。
結果は狩野の発言どおり―記録は全て消されていた。
(天城グループのナンバー2、進藤直人か……)
彼が関わっているのであれば、おそらく件の病院すら無かった事にされているだろう。それほどまでに天城の力、そして、進藤直人の力は強大だ。
考えを巡らせながら、ミハエルは視線を、樋成が映し出されたウィンドウに戻す。
(残っていない記録、有る筈の無い情報を語るコイツは……本物か……)
ミハエルは形の整った唇の形を笑みに変える。整っているからこそ、無機質で冷たさすら感じられる笑顔。
滝のように流れる情報は勢いを増し、キーボードは嬌声を上げ続ける。
「貴方は幻覚の原因を究明するために、まずは自身のカルテを調べる事にしました。入院患者でありながら、天城の人間として制限の無い自由な行動が許されていた貴方は、通常では閲覧する事のできない内部資料まで見ることができた。資料庫にはカルテと一緒に、病院の医師たちが記した研究レポートも保管されていた。貴方の入院していた病院のもう一つの側面、研究機関としての成果に目をつけた貴方は、手当たり次第にそれらを貪り、読み漁った。その中に、貴方は、求める答えのヒントとなり、その後、貴方の人生を大ぉきく変える!ある一つのレポート見つけ出します」
まさに運命の出会い!と声を響かせ、演劇の重要な場面転換の時のように、余韻を持たせながら樋成は前方に視線を漂わせる。
視線の先、狩野は相変わらず携帯をいじりながら、全く心を動かされていない様子で椅子の背もたれにもたれ掛っていた。
「まさに運命の出会い!」
とりあえず、樋成はもう一度叫んでみた。
灰皿が飛んできた。
「おおっと」
樋成はそれをヒラリとかわしながら、背面でキャッチする。
チッと舌打ちする狩野に対して、樋成はオーバーに肩をすくめてみせる。
「少々、不興を買ってしまったようですな。劇的なシーンは盛り上げなくてはという私のサゥビスッ精神が行き過ぎてしまいましたか」
「余計な装飾はいらねぇっつてんだろ。てめぇの知ってる事だけしゃべりゃあイイんだよ」
「私の能力の本質を、未だお解りになられていないようですね」
「理解してんよ、十二分にな」
狩野の言葉に、樋成は諦めたように手を上げて、ソファに腰を戻した。
まぁ、いいでしょう。と樋成は小さく頷くと本題の話を続ける。
「貴方に天啓とも言うべきものを与えた、そのレポートのタイトルは『精神疾患及び障害時における特殊状況下での意思の疎通性』。内容は、タイトル通り、言語障害を起こしてしまった患者と、どのようにコミュニケーションをとるか、症例や実験結果からの推測と考察でしたが、がっ!しかし、その結論の中には、シンクロニシティや、ESP、超心理学についての可能性が言及されていた」
ビシッ!っと樋成は狩野を指差した。
狩野は自嘲気味に鼻で笑う。
「さすが天城、ジジイの傘下だけあって、わけのわかんねぇ研究してやがると思ったね」
珍しく、返ってきた狩野の答えに、樋成は満足そうに頷く。
そして、さも自分は相手の理解者であるかのような落ち着いた声、はっきりした発音で樋成は、まるで自分の事であるかのように語り出す。
「天城天厳のあくなき興味と探究心が結果的にレポートを生み、貴方がそれを手にしたのですから、いやいや、世の中、何が何処でどう役に立つかわかったものではありませんな。そういう事態を見越して天城天厳は様々な分野に手を出し、それが天城グループを巨大な組織へと成長させたのかもしれません。おっと、話がそれました。とにもかくにも貴方は、例のレポートを読み、荒唐無稽な、しかし、どこかしっくりとくるその内容に興味を持つと、すぐに次の行動を開始した。解けない謎の見つからない答えを提示してくれるかも知れない人物、レポートを書き上げた研究者を探し出して欲しいと天城に連絡をした。すでに病院から離れていたその人物を、進藤直人が天城の力を使って呼び戻し、貴方に引き合わせた」
「さすがというか、なんというか兄貴の行動は速攻だったね。連絡した次の日にはもう、見つけ出して連れてきてんだから」
自らの兄について狩野は、呆れたような声色で感想をもらした。
樋成はその言葉に大げさに頷く。
「神業の様な進藤直人の計らいで貴方はすぐに目的の人物に会うことが出来た。新しく病院内に割り当てられたその人物の研究室の前、貴方は期待と不安に胸を膨らませながら、ドアを開く、そして、中にいる人物を見て貴方は少なからず驚く事になる。超能力の存在を言及するようなレポートを書いた研究者の名前は、稲森香《いなもりかおり》、二十代後半の若い女性だったのですから」
右手をハンカチの上にかざしながら、まるでその場にいたかのように情感たっぷりに語る樋成に対して、狩野は何処か遠くを見るような目をしていた。
「ありゃあ、いい女だったよ」
乱暴な言葉遣いとは裏腹に狩野の声はどこか哀しみを含んでいた。
「貴方の記憶にある彼女の姿はとても美しい」
訳知り顔で頷く樋成に、狩野は冷徹な視線を向ける。
肝の冷えるような視線を受けてなお、それに気づかないかの様に樋成は口を開く。
「美しく、賢い女性。なにより、稲森女史は豊富な知識と明晰な頭脳を持ちながらそれに捕われることなくフレキシブルに物事を考える事のできるパーソナリテェイを持ち合わせていた。とかく、知識を持つ者というのは、他人を見下し、自分の知識に無いものを認めようとはしませんからな。そう!既存の枠に捕われない我々の様な超能力者!そしてその能力を認めようとはしない!目を瞑って耳を塞いで食べず嫌いを決め込むのです!その点、稲森女史は自由な視点をもちイレギュラーを認めることができた。貴方の身に起きていることも他の医師のように心の病だと決めつけずに、別の原因によるものではないかと考え、稲森女史は貴方に興味を持った」
「実験動物的な興味だっただろうがな」
「しかし、貴方にとっては理解者だった。邂逅を果たしたその日から、貴方は稲森女史の教授を受けることになる。入院生活のありあまる時間を彼女に付いて知識を学んだ。それは専属の家庭教師の様なものであり、師弟関係であり、院内において彼女は貴方にとっての母……いや姉の様な存在だった。彼女の授業を受けるたび貴方の世界は開かれ、彼女の言葉を聞くたびに貴方は彼女を信頼し、彼女の生き方を知るたびに貴方は彼女に惹かれた。尊敬し、敬愛し、憧れ、信じていた。そんな貴方に稲森女史も心を開き、学会では認められないような自らの知識や持論を余すことなく教え込んだ―」
そこまで言うと樋成は急に立ち上がり、拳を掲げ叫ぶ。
「―まさにっ、運命の出会いっ!」
靴が飛んできた。
樋成はバレーのレシーブを思わせる動きで靴を打ち返す。
狩野は忌々しそうに片手で靴を受ける。
「運命運命って運命だらけじゃねぇか。頭がお花畑の女かてめぇは」
靴を履きなおしながら悪態をつく狩野に、樋成は賢者のようにしたり顔で答える。
「運命とは常に目の前にあるものです。それを人生の転機と変えるかどうか、運命の扉を開くかどうかは貴方次第なのです。しかし、運命の扉など開かないほうがいいのかもしれません。二回目の運命の出会い……それは悲劇の運命だったのですから……」
樋成の言葉に、狩野の口から後悔じみたものを噛み締める歯軋りの音が響いた。
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