7 :ワールドコード

 樋成の背後、彼が入ってきた研究所のドアが、開いて、閉まる。
 真名が出て行くまでの間、樋成の前では狩野が、釣り上げた魚が陸上でもがき苦しむのを嬉々として眺めているような嗜虐に満ちた笑みを見せていた。
 実際、樋成は打ち揚げられてのた打ち回る魚も同然だった。
 呼吸が苦しい。
 樋成は気色悪く乾いた喉を何とか動かす。

 「ははは……してやられましたな、まさか私がペテンにかけられていようとは」
 「人を騙そうって人間は、自分が騙される可能性もきっちり考えておかねぇとなぁ」

 樋成の言葉に、狩野は嬉しそうに返しながら、手元のレポートに目を落としていた。
 それでも、狩野は隙を見せず、樋成は逃げることができない。

 「いや、素晴らしい!私を騙す事によって、貴方は私の化けの皮を剥いだ!ウルトラCの離れ業!観客がいたのならスタンディングオベーションをしていることでしょう!」

 樋成は一息つくと、固まった表情を動かし、余裕の笑みを浮かべて、心からの賞賛を狩野に送った。

 「はっ、まるで、嘘の超能力がバレるのは想定済みみたいだな」

 感心したような狩野の言葉に、樋成は満足そうに頷きを返す。

 「大前提ですから、失礼ながら貴方のお力を試させていただきました……合格です!まさか満点をこえる点数をもって答えられてしまうとは夢にも思いませんでしたが、しかし!だからこそ素晴らしい!」

 感動、感激を大げさに表現する樋成に、狩野は試すような眼を向けて言葉をかける。

 「まぁ、落ち着け、落ち着いて座れよ、樋成朔太郎《ひなりさくたろう》」

 狩野に樋成朔太郎と呼びかけられた樋成・J・バルザックと名乗る男は、ほう、っと感心のため息を漏らした。

 「今日は驚きの連続ですな。やはり、諦めずにノックして貴方と出会う価値はあった。よもや、すでに私の本名まで調べられていようとは」

 樋成は観念したように両手を挙げると、ゆっくりとソファに身を沈めた。

 「誰が聞いても偽名かと思うような嘘くせぇ名乗りだったしな。こっちもバレるの前提なんだろ?」
 「その通り、こちらは超能力の嘘がバレてから、自分で名乗る事を仮定していましたがね」

 腹のうちを探るような狩野の質問に、樋成は開き直ったような笑みを浮かべた。
 狩野はそれを鼻で笑って、ミハエルからのレポートを読み上げる。

 「樋成朔太郎、7月22日生まれ、36歳、AB型、で間違いないか?」
 「えぇ」

 狩野は所々、確認を取りながら、樋成朔太郎の個人情報を読み上げていく、出身地、学歴や職歴、現住所から携帯の電話番号、使用しているカード会社、実家の住所、家族構成。
 知られてしまうことが致命的になりかねない情報、樋成朔太郎という人間の首根っこを掴むような情報を、あえて狩野はとり上げて告げていく。
 樋成を逃がさないための情報、いつでも追い詰めることができるという警告を含んだ情報の全てに樋成は肯定の意を示した。

 「で、わざわざ超能力者を偽ってまで、俺に接触してきた目的は何だ?俺を試させてもらったとかふざけた事を言ってやがったな」

 答えによっては制裁を加えると狩野の声色は語っていた。

 「大変失礼な事をしているのは承知しておりました。しかし、私は確かめなければならなかったのです!貴方が私の主として相応しいかどうかを」

 樋成が発した言葉の真意を測りかねて、狩野は右の眉を上げる。
 樋成は演じるような発声を止め、真摯さの伝わる声で自らを語り始める。

 「実は私、現在、探偵業を営んでおりまして」
 「あぁ、ここにも書いてあんな」

 狩野は手元のレポートを指で弾いた。
 樋成は訴えかけるような目線で続ける。

 「確かに、私の超能力は嘘っぱちでしたが、思い出していただきたい!私が語った貴方の過去は紛れもない事実!そうでしょう?」
 「よく調べたもんだ」

 狩野は目に警戒の色を走らせる。
 樋成の語った狩野の過去は、本人が忘れていたような内容を含む、正確なものだった。例え、超能力でなくても、それ自体は脅威に値する。
 樋成は声を張り上げる。

 「そう!調べたのです!消された記録を探し出し、断片的な資料から事実をつなぎ合わせ!貴方の過去に迫った!」
 「随分と暇なこった」
 「それもこれも、全て私の調査能力を見せるため!貴方に私の調査能力の高さを理解して頂くため!」
 「あぁ、わかったわかった。で?」

 狩野は五月蝿そうに顔をしかめながら結論を促す。
 樋成は一呼吸おくと、真剣な面持ちで訴える。

 「私を研究所で雇って頂けませんか?貴方の目的は知っている。この研究所を拠点に貴方が何を行っているかも。超能力者を狩るのに私の調査能力は役に立ちます。貴方の目的のために私にも尽力させて頂きたい」
 「なぜだ?」

 品定めするような狩野の視線に樋成は口の端を上げる。

 「貴方に興味があるからですよ」
 「俺にそういう趣味はねぇ」
 「まぁ、それはおいといても天下の天城グループと繋がりが持てるのは私にとっても有意義ですから」
 「ハッ、そういう方がわかり易くていい」

 鼻で笑いながらも狩野の声には満足そうな響きが含まれていた。
 樋成は自分の要求が通ったことに確信をもった。

 「樋成朔太郎」
 「はっ!」

 狩野に呼びかけられて、樋成は敬礼せんばかりの喜色を浮かべてそれに答える。
 狩野は樋成の返事に満足そうに頷いて、優しく、諭すように、悪魔が耳元で囁くように告げる。

 「俺の研究所に嘘吐きはいらないんだよ、樋口翔《ひぐちかける》君」

 樋成・j・バルザックを名乗り、樋口翔と呼びかけられた樋成朔太郎だった男は、驚愕に目を見開き、開いた口が歪な形に固まり、顔面を一瞬で蒼白にした。

 「な、な、な、な、何をおっしゅあっているのか」
 樋口と呼ばれた男は、全身から汗を噴き出させながら、歯の根が合っていない口から震えた声をひねり出した。


次へ
HOME