ワールドコード :3-10
 その六畳ほどの部屋は、やはり牢屋というよりは病院の一室をイメージさせた。

 「随分といい所に住んでんじゃねぇかクソじじぃ」

 扉を開け、廊下を渡り、隔離施設の様なまるで蓋みたいな扉を開けた先、牢屋に入るなり狩野は皮肉げに笑った。
 狩野の視線の先、本を片手にベッドに腰かけている老人が、目だけをこちらに向ける。
 元は暴力に慣らしただろう肉体は、寄る年波を感じさせたが、しかし、なお老眼鏡から覗く老人の目は野生の肉食獣の様な鋭さと生命力に満ちている。
 牢の住人である老人――射概玄十郎は、狩野を見るなりその目を驚愕に見開いて。

 笑った。

 「ガハハハハハ、まさか本当にくるたぁな。不思議なこともあるもんだ」

 射概の歳を食った鰐のような笑い声を聞いて、狩野は眉間に皺をよせる。

 「あぁ?何の話だ?クソジジイ」
 「いやいや、なんでもねぇ、こっちの話だ。気にすんな」

 射概は気難しそうな強面とは裏腹に、人の緊張をほぐすような気さくな顔で笑う。
 黒澤の交渉の武器としての笑顔とは正反対の、裏を感じさせない心からの笑顔。

 「っと、アンちゃん一人かい?聞いてた話じゃ可愛らしい嬢ちゃんが一緒にって……あぁ、いたいた」

 射概に笑いかけられ、狩野に隠れるようにして顔を出していた真名は反射的に狩野の背に身を隠す。
 狩野の背を叩き、真名は耳打ちする。

 「なんでとか、いつからとかはわかりませんけど、あの人知ってましたよ。私たちが来る事」

 真名の言葉に、狩野は舌打ちする。

 「どうやら、そうみたいだな」

 まるで自分達が来るのを待っていたかのような射概の言葉や態度から狩野も同じ推測を立てていた。
 狩野は視線を真名から射概に戻すと、鋭く細める。
 狩野の視線を真正面から受けて、その敵意に懐かしそうに射概は口の端を上げた。
 射概は本を閉じ、老眼鏡を外すとベットの上に胡坐で座る。

 「おいおい、そんなに怯えなくたって取って食ったりしねぇよ」

 真名に向けてか狩野に向けてか、その言葉とは全く逆の迫力が射概の全身から滲み出す。

 「で?俺に一体、何の用だい?」

 威嚇しているわけではない。ただ、射概の存在感は大型の肉食獣を思わせた。
 今は静かにこちらを眺めているが、その爪や牙は間違いなく肉を裂き、骨を砕く。
 緊張感が牢の中に満ちるが、狩人は肉食獣に怯えない。
 狩野にとっては慣れ親しんだ空気。喰うか喰われるかの狩場の空気だ。
 追い詰めて、弾を撃ち込み、皮を肉ごと剥ぎ取ってやる。
 狩野は興奮を落ち着けるように、軽く息を吐いてから質問する。

 「あんた能力者か?」
 「あ?のーりょくしゃあ?なんだそりゃ?悪いけど、こんな棺桶みてぇな所じゃ、最近の流行り廃りはわからねぇな」

 単刀直入な狩野の質問に、射概は大げさに首を捻る。

 「はっ、すっとぼけようたって無駄だぜクソジジイ。こっちにゃ人間嘘発見器がいるからよ」

 狩野は背後に隠れてる真名を親指で示す。

 「いや、そういう能力じゃないんですけど」

 真名は雇い主に訂正を求めるも、狩野は面倒くさそうな視線だけで返す。

 「あのですね。そもそも私、良くわかってないんですけど……この人は誰なんですか?」

 状況を把握してない真名に狩野は舌打ちする。

 「ちょ、何なんですか!狩野さんが説明してくれないのが悪いんじゃないですか!職務怠慢ですよ!打ち合わせの無い本番ですよ!筋書きの無いドラマですか!」
 「っせぇな。このジジイは射概玄十郎ってクサレヤクザだよ。脱獄王なんて呼ばれてるが、十ニ年前の殺人事件でぶち込まれてからは脱獄もできずに、牢屋の中で死を待つばかりの極悪犯だ。脱獄王の人生の終わりが牢屋の中とはざまぁねぇ」
 「はぁ」

 わかったようなわからないような返事をして真名は射概に視線を向ける。
 青い瞳が射概を掴む。

 「そんなに、悪い人には見えませんけどね。筋の通ったどちらかといえばいい人だと思うんですけど」

 真名の評価は言葉通りの見た目ではなく、能力によって本質を捉えたものだ。
 真名から見た射概は雲のようにとらえどころが無く、それでいて中心にはしっかりした柱が立てられている。
 不思議そうな顔をする真名の言葉を聞いて、射概は痛快に笑う。

 「人を見る目があるじゃねぇか、嬢ちゃん!」
 「どこがだよ。目玉じゃなくて青いビー玉だったのか?ソレ。クサレヤクザだっつってんだろ」

 射概に褒められて照れくさそうにしている真名の頭を狩野はひっぱたく。

 「おいおい、チンピラにヤクザ呼ばわりされるたぁ心外だな。任侠者だと言って欲しいね」
 「誰がチンピラだ、ごらぁ」
 「そうですよ。確かにチンピラレベルの目つきの悪さで、チンピラよりもチンピラっぽいし、実際、行動もチンピラのソレですが狩野さんはチンピラなんかじゃ……あれ?それってチンピラじゃない?チンピラかも!――って痛い!」
 「ややこしくなるから黙ってろボケ!」

 狩野は再度、真名の頭をひっぱたく。

 「女子《おなご》に暴力振るうのは感心しないぜアンちゃん」
 「こいつは飼い犬のしつけだよ。ヤクザにとやかく言われる筋合いはねぇな。任侠だとか偉そうにほざいてやがるが、あんたはただのクサレヤクザだ」
 「時代の違いだな。確かに暴力に頼っちゃいたがそれでも俺たちゃ街を守ってた。おめぇにゃゃわからねだろうが、お上が下々をないがしろにして好き勝手、警官なんざ権力を傘にきてるだけって時代があったのよ。無法者には無法者、俺達にしか守れねぇ仁義ってもんがあったのさ」
 「はっ、てめぇのやってきた事を正しい事みてぇに言うんじゃねぇよ。どう取り繕ったってあんたは十二年前の殺人でここにぶち込まれてるんだよ。人殺し」

 嘲笑うように投げつけられた狩野の言葉に、射概は顔に苦渋を滲ませる。


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