ワールドコード :3-16
 「目の周りって、ホントにそんな漫画みたいになるんだね」

 『狩野ESP研究所』の仮眠室で、寝転がる狩野を見下ろしミハエルが感心したように呟く。狩野は何か言い返してやろうかと思ったが、口の中が切れていて痛いので止めた。
 宿泊先で射概に襲撃された翌日、狩野が目を覚ますと旅館ではなく診療施設の硬いベットの上だった。
 隣を見ると、上半身をベットの上に預けるように真名が寝ていた。
 気絶した後、近くの診療所か何かに運ばれたのだろう。狭い室内を見渡した後、手足を見ると湿布やら包帯やらが巻かれていた。
 立ち上がって体の調子を確かめると、幸いにも骨折などはしていないようだった。鏡を見ると右目の周りがパンダみたいに変色しているのには気が滅入ったが、動くのに問題はない。
 狩野は真名を起こすと、雑事を処理し、早々に場を後にした。
 昼近くにはなっていたが、真名を学校で降ろし、自身はこうして研究所のベットに横たわっている。

 「で?どーすんの?」

 キーボードを打ちながらミハエルが訊ねる。画面には部屋らしきものが様々な角度からリアルタイムで映し出されている。
 おそらく射概の収容されていた部屋だろう。狩野には何となく見覚えがあった。

 「お前、どうせ盗撮するならもっと色っぽいところにしろよ」
 「狩野はこっちの方が好みだろ?刑務所フェチだなんて真名が哀しむよ」
 「言ってろ。そりゃ監視カメラか?」
 「そ、多少タイムラグはあるけどね。今は撮った映像をデータにして保存してたりするからさ。圧縮したり便利なんだろうけど。機密性はこの通り。ま、僕にとってはだけどね」

 自信満々に振り向くミハエルの目には子供らしからぬ疲れが見て取れる。

 「の、割には随分と頑張ったみてぇじゃねぇか。そんなに刑務所に興味があるとは。安心しろ。お前なら将来、必ず入れる」
 「言ってなよ。これは塔堂さんのせいだよ。あの人ほんとヤバイよ!一晩中ノンストップ!しかも、とりあえず自分の喋りたい事を話すから、話題はとぶし、論理的じゃないし、支離滅裂でオチもないから脳が破壊されるかと思ったよ。で、一通り満足するまで喋った後『そうだ!私にはアニキに任された大事な使命が!』とか何とか言って走って出てったよ。なにアレ?未知のエネルギーかなんかで動いてんの?」

 今も元気に街中を走っているであろう黒江の姿を想像して、狩野は力が吸い取られていくような疲労を感じる。
 狩野は黒江が戻ってこない事を願った。全身に打撲を負っている状態で黒江の相手をするのは文字通り骨が折れる。
 狩野は溜息を吐く。安静にしていれば今日中にある程度の痛みは取れるだろう。
 しかし、射概の瞬間移動を封じる手が無ければ動きようがない。

 (ジジィがどう出るかもわからねぇ)

 歯噛みする狩野の耳に携帯の着信音が届く。
 画面表示は高瀬明。狩野は苦々しく舌打ちして通話を押す。

 『用件はわかっているな』

 いつも通りの本心を隠した硬質な声。しかし、今はそこに責めるような色が混じっている。

 「俺とお前がいつからそんな以心伝心な関係になったよ。何の話だ?」
 『余計な問答をしている暇はない。何故、言わなかった』
 「射概の脱獄か?むしろ随分知るのが遅いな」
 『刑務所側が内密に処理しようとしていたらしい。しかし、そうもいかなくなった。TV放送は見れるか?』
 「あぁ?TV?チャンネルは?」

 狩野は高瀬からの指示を、傍で聞いていたミハエルに伝える。
 ミハエルはパソコンを操作し、画面をTV放送に変える。
 映し出された画面の中では、緊張して額に汗を浮かべる男に向かって、無数のマイクが突き出されている。
 まるで無数の槍に囲まれているかのように追い詰められている男の顔の下には“安蔵刑務所所長”のテロップが責任を問うように貼り付けられていた。

 『発表を控えさせて頂いておりましたのは、付近の住民の方々に混乱を招く事の無いよう配慮したもので――』

 決まった原稿を読んでいるかのような弁明の声がスピーカーから流れる。

 『今朝、青森県沿岸で起きた火災事件において、脱獄犯である射概玄十郎と思わしき人物が監視カメラに写っていることについてはどのように』

 生中継なのだろうか、お決まりの説明に抗議するように記者からの質問が飛ぶ。
 安蔵刑務所所長は汗をハンカチで押さえながら慎重に言葉を選ぶ。

 『それについては現在、詳細を調査中で――』

 追求しようとする側と隠蔽しようとする側の攻防が激しさを増す。ただしどちらもポーズに過ぎない。

 「はっ、まさかコイツで知ったのか?」

 おそらく同じ画面を見てるであろう高瀬に向かって狩野は乾いた笑いをもらす。
 射概は、大きくなればなるほど組織が腐ると言っていた。少なくとも情報の伝達は遅くなるらしい。
 挑発するような狩野の物言いにも、高瀬の声は微動だにしない。

 『貴様の非公式な訪問が事情を複雑なものにしている。細かい調査はこれからだ』

 高瀬の声を聞きながら狩野の瞳は報道番組を映す。
 画面は中継からスタジオに戻り、今朝起きた火災事件の犯人と脱走犯――射概玄十郎との関連について語られている。
 監視カメラの映像を見るまでも無く、その火災を起こしたのが射概だと狩野には確信が持てた。

 (しかし、そのためだけに脱獄するはずはねぇ、これはおそらく開戦の狼煙だ)

 思考をめぐらせる狩野の耳に、高瀬の硬質な声が響く。

 『貴様が逃がしたのか?』

 狩野は思わず、携帯を床に叩き付けそうになった。

 「俺はなぁ、超能力者をぶち込むことはあっても、逃がすなんて事ぁしねぇよ」
 『なるほど、やはり射概は何らかの能力者か。ならなおさらだな』

 これは高瀬の尋問だ。相手の精神に揺さぶりをかけ、必要な情報を引き出そうとしている。
 余計なことを話してはならない。しかし、狩野には我慢できなかった。

 「どういう意味だ!」

 激昂する狩野に冷や水を浴びせかけるように、高瀬は抑揚のない硬質な声で自身の考えを口にする。

 『貴様が手助けをしたのではないかという意味だ。一条真名やミハエル=ブランケンハイムの時のようにな』

 確信を持って推測を語る高瀬に、狩野の頭の中で警報が鳴り響く。

 (狸が。こいつの本当の目的は何だ?)

 狩野は高瀬の言葉の中に微かな違和感を感じ、一瞬にして思考を冷静なものに変える。

 (射概の件についての追及は本質じゃない。むしろ、それをダシにして何かしらの要求を突きつけてくるつもりだ)
 「何の話かよくわからねぇな。俺が射概のジジィを逃がしちまったのは事実だが、それだけだ」

 はらわたが煮えくり返る思いだったが、狩野はあえて自らの非を口にする。
 今回の件に関わってから、ずっと何かの思惑によって動かされているような気がしてならない。今の言葉も誰かに言わされているような錯覚を覚える。
 それでも、射概の件についての責任を負うことで、これ以上の高瀬からの追求を拒絶しなければならない。
 立場は悪くなるが、背に腹は代えられない。

 (畜生、誰がこの流れを操ってやがる)
 『この件に関して、私は関わることができない。責任は追及されるがな』

 高瀬はあえて自らの立場を明示することで、こちらの立場を要求する。

 「時間は?」
 『射概の身柄を警察《われわれ》が取り押さえるまでだ』
 「オーケー、てめぇらより先に俺がクソジジィを捕まえれば問題ないわけだ」
 『できなければ、貴様達の存在を看過することはできない。つまり――』
 「射概は俺が捕まえる。超能力者《やつら》は俺の獲物だ」
 『――わかってるなら問題ない。期待している』
 「はっ!どっちをだよ」

 最後に悪態を吐いて、狩野は通話を切る。

 (くそが!そいつが目的か。あの野郎、この件の失態を俺に求めて、真名とミハエルを管理下に置くつもりだ)

 歯噛みしている狩野の視線の先に、心もとなげな表情のミハエルがうつる。

 「おら、ぼさっとしてんじゃねぇよ!大事な職場の存続の危機だ!路頭に迷いたくなきゃとっとと働け!」
 「僕は狩野が犯罪幇助で捕まっても、路頭に迷うことはないし、メシウマだけどね」

 軽口を叩いていてもミハエルの表情は弱弱しい子供のそれだった。

 「でも、まぁ、住みやすい職場は僕にとって利用価値が高いからね」
 「職場に住むなよ……」 

 呆れる狩野に笑みを返すミハエルの眼差しは真剣そのものだった。
 パソコンに向かうミハエルを見て、狩野は軽い笑みを零す。

 「頼んだぜ」

 狩野は痛む体を無理やり起こす。寝ているわけにはいかなくなった。
 舌打ち一つ。狩野は動き出す。


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