ワールドコード :3-18
 その翌日。研究所の机で狩野は目撃証言や報道から射概の行動を追ったメモや資料とにらめっこしていた。
 資料の中には、相対性理論や量子力学、転送装置や加速装置について、はては超光速航法、ワープ、トリック、SFまで瞬間移動に関する様々なものが含まれていた。
 できるだけ早く、射概を捕まえなければならない。そのためには射概の瞬間移動を封じる何らかの手段が必要となる。
 それがなければ、捕まえること自体が無駄だ。しかし、逆にそれがなければ誰にも捕まえることができない。同義の様だが、警察よりも先に射概の身柄を確保しなければならない今となっては後者が重要な意味を持つ。
 射概の能力を封じる手段は必ずある。そうでなければそもそも刑務所に収監されるどころか逮捕すらされるわけがない。
 能力の性質、特徴、条件、法則、限界、どこかに必ず穴がある。ただ、それがわからない。

 (空間を飛び越えてるのか。移動してるのか。光速?分解と再構築か?その瞬間を見れりゃいいんだが)

 狩野が頭を悩ませていると、研究所のドアが何かを叩きつけられたように大きな音をあげた。
 柔らかいがそれなりに重量を持ったものが叩きつけられた音。でかいバックか、満杯のゴミ袋、もしくは人間。
 音の余韻が消えるのを待って、拳の骨を当てるようなノックの音が響く。

 「なんの用だ?」

 狩野がドアの向こうに向かって声をかけると、返事は無しに研究所のドアが開かれる。
 現れた男は無言のまま研究所に足を踏み入れ、挨拶も無しに応接用のソファに身を沈める。

 「すいませんね、遅くなってしまって。こちらも昨日は立て込んでいたもので」

 無礼な態度とは裏腹にあくまで丁寧な口調でソファに身を沈めた男――黒澤英太は顔に笑みを貼り付ける。
 その後ろには、高橋と呼ばれていた海坊主のような大男と、見知らぬ男の二人が立っている。

 「あぁ、後ろは気にしないでください。仕事の途中に寄ったもので」

 黒澤の声に見知らぬ男が、ビクリと肩を振るわせる。その瞳には明らかに恐怖の色が浮かんでいた。
 逃げられぬように高橋に肩を掴まれたその男の顔は腫れ上がり唇の端に血が滲んでいる。先ほど研究所のドアに叩きつけられた何かはこの男の体だろう。

 (債務者か何かか、わかりやすい脅しだ)

 仕事の途中に寄ったなどと言っているが、黒澤が男を連れてきたのはあえて狩野に男の惨状を見せ付けるためだ。
 彼らの意にそぐわぬ人間がどうなるか。どういう目にあうか。その具体例。

 「大変ですよ。月の締めも近くて回収作業も本腰を入れてやらなきゃいけないって時に、これですからね。忙しくて猫の手も借りたいぐらいですよ」
 「あぁ、だったらこんなとこに来なくてもいいんだぜ?回収作業とやらをがんばってくれよ」

 狩野が興味なさそうに答えると黒澤は何も言わずに軽く左手を上げる。
 それを合図に高橋が隣の男の顔を殴りつける。
 鈍い音が響いて、声を上げることもできずに、殴られた男は鮮血を散らせて床に倒れる。

 「おい!床が汚れるだろ!」

 狩野の抗議に答えず、黒澤は再度、高橋に合図を送る。

 「がっぐっ!」

 倒れている男に高橋が蹴りを入れ、男の口から空気と一緒に赤い胃液が吐き出される。
 狩野が黒澤の気に入らない発言をするたびに、高橋が男を痛めつけることになるようだ。
 狩野は黙って黒澤の話を待つ。
 痛めつけられた男のうめき声が静まるのを待ってから、黒澤は満足そうに口を歪めて本題に入る。

 「忙しくて大変なんですよ本当。余計なことに体力を使いたくないのはわかってもらえますよね?何でこんなことになったのか。昨日、蒼嶺会の会長から連絡がきましてね。射概が突然、現れて『黒澤組と手を組むのをやめろ』と言ってきたらしいんです。それで、連合相手の他二組にも連絡をとったところ同じようなことがあったと」

 そこまで言うと黒澤は笑みを消して狩野を見据える。

 「私どもが先日、あなたに何をお願いしたのか。覚えてますかねぇ、狩野さん」
 「射概の監視だろ」

 苦々しく答える狩野に黒澤は頷いて、高橋に合図を送る。
 高橋は再び、連れてきた男を痛めつける。ただし、今度は強烈な一撃ではなく、多少手加減した攻撃を断続的に男に加える。
 痛めつけられた男のうめき声と、肉を叩く音、悲鳴、骨が軋む音が断続的に響き、部屋中に満たされる。
 まるでその音をBGMにするように黒澤は言葉をつなげる。

 「そう、監視ですよ。私は我々の計画が達成されるまでの間、貴方には奴を見張っておいて頂きたい。そう言いましたよね?」
 「あぁ」
 「それが、なんであんたが射概にあったその日の内に、奴が外に出てやがるんだ?あぁ?」

 そんな声が出せたのかと思うほど、今までの穏やかな口調とはかけ離れた怒号が黒澤の口から放たれる。
 狩野は黙ったまま、黒澤に目を合わせる。
 二人は睨み合う形になって対峙する。 

 「あんたが射概を出したのか?」
 「んなわきゃねぇだろ」

 そのままお互い目を逸らさず、押し黙る。高橋が男を殴る音だけが場に響く。
 殴られ続ける男は気を失ったのか呻き声は消えていた。

 「やめろ」

 黒澤の命令に、高橋がぴたりと拳を止める。
 痛めつけられた男が崩れ落ち、床に頭を打ちつける音に黒澤が顔をしかめる。

 「本当に困ったことをしてくれたものです」
 「だから、俺が逃がしたわけじゃねぇつってんだろ」
 「信用できませんね」
 「わかってる。俺が射概をとっ捕まえる。それでいいだろ」

 うんざりするように答える狩野に黒澤は首を振る。

 「あなたにはこの件から降りてもらう。あなたと射概が通じてるかもしれない状況で勝手に動かれたらたまりませんからね」
 「なんだと?」
 「今後一切、この件には手を出さず、連合成立まで大人しくしといて頂きたい。これはお願いじゃありません」
 「射概はどうする」
 「我々で捕まえますよ」

 何でもないことのように答える黒澤に、狩野は違和感を覚える。

 「お前、射概の力について知ってるな?」

 黒澤の目に一瞬、驚きが走り、すぐに消える。
 鎌をかけてみただけの狩野だったが、その一瞬の変化を見逃すようなことはしない。

 「勝手に巻き込んどいて大人しくしとけって、ふざけんなよ」
 「お願いじゃないと言いましたよね。従えないならこうなります」

 黒澤は後ろに倒れる男の方を指で指し示す。狩野はそんなことかと笑い飛ばす。

 「やれるもんならやってみろ」
 「あなたではなく、あなたの周りの人間がこうなります」
 「そしたら、俺はお前を殺すぞ」

 怒気の混じった狩野の声に、黒澤の後ろに控える高橋が反応を示す。
 高橋が懐から拳銃を取り出すと同時に、狩野はデスクの下から同じものを取り出す。
 高橋の拳銃は狩野にむけられ、狩野の拳銃は黒澤に向けられる。
 引き金が引かれれば必ず誰かが死ぬ。
 その状況で狩野と黒澤が睨み合う。
 命がかかった沈黙が場に満ちる。
 その沈黙を破るように、突如、緊迫感のない声が響く。

 「ほわぁ、かっこいい~」

 いつの間に現れたのか、研究所のドアの前で黒江が目を輝かせていた。

 「渋い!アニキしぶいっす!シブカッコイイです!」

 狩野の肩からがっくりと力が抜ける。
 黒澤も呆れたようにため息を吐いて高橋に合図を送る。
 お互いに拳銃を下ろす中、黒江が無邪気な声をあげる。

 「あれ?もう終わりですか?写メ撮りたかったのに!もう一回やってください!」
 「やるかボケ!」
 「えぇ~。あ!あれですか?写メじゃなくてムービーの方が良かったですか?」
 「お前さ、なんでこの状況でそんなキャッキャしてんの?頭のネジがおかしいんじゃねぇの?それとも元から無いのか?」
 「映画みたいでかっこいいじゃないですか。なんか血まみれの人も転がってるし!」

 普通なら怯えて逃げ出したとしてもおかしくない状況で、血を流し床に倒れる男にも臆することなく、黒江は興味深そうに辺りを見渡している。
 こいつはおかしい。狩野は酷い脱力感を感じて頭を抱える。

 「高橋、行くぞ」

 黒澤が立ち上がり、高橋が倒れている男の首を掴み上げる。

 「とにかく、こちらに従って、余計な首を突っ込むな。塔堂さんのところで問題は起こせませんが、ビルの外はその限りではありませんからね」

 釘を刺すように警告を残して、黒澤は高橋を引き連れ立ち去っていった。


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