ワールドコード :3-20
 しかし、狩野はすぐに行動を起こすことはなかった。もちろん、黒澤に言われたからではない。
 射概の能力に対抗する策がなかったのも要因の一つだが、体を万全の状態に戻すこともその一つ。
 デスクの上に置かれた小さな鏡を覗き込みながら狩野は右目の周りをさする。この三日間で大分あざが引いていた。

 「まぁ、これくらいならむしろ男前があがるってもんだろう。俺のイケメンっぷりは止まるところを知らないな」

 狩野が独り言を呟き、わざとらしく真顔を鏡に映していると、研究所奥の扉からミハエルが溜息交じりに現れる。

 「そうね、いつも通り腐ったホストくずれみたいな顔してるよ。はい、今日の分」

 言って、ミハエルは狩野のデスクにプリント用紙の束を投げる様に置く。
 プリントには前日の射概の目撃情報、射概が起こしたと思われる事件事故、警察の最新の捜査状況や警察内部のメール内容のコピーが印刷されている。
 公式、非公式問わず、合法非合法問わない手段でミハエルが収集したもの。
 狩野がすぐに行動を起こさなかったもう一つの理由。それは相手――この場合、警察、黒澤組、射概――それぞれの出方を伺うためだ。

 「相手の出方を見て、次の一手を読む。まるで安楽椅子探偵だな」
 「似合わないね。大体、こういう時に狩野がするのは推理じゃなくて、謀略をめぐらせて罠に嵌める準備じゃないか」
 「してるだろ?推理も」
 「やっぱ腐って崩れてるわ、性格が」
 「崩れてなくて腐ってるよりましだろ?信念が」

 狩野は蔑むように言って、ミハエルの用意したプリントの束を手に取る。
 刑務所から脱走して以来、射概が起こしたと思われる事件は多々あり、まさにやりたい放題だった。
 最初のうちは、おそらく麻薬の保管場所を狙ったものだろう放火事件や、麻薬の取引現場の襲撃、各組の縄張りにおいての示威行為だったが、研究所に黒澤が現れた日からは、頻度や、その凶暴性がエスカレートし、各組が経営する店が襲撃されたり、組員が夜道で襲われる事件が頻発することになる。
 まさに“赤橋組、喜渡瀬組、蒼嶺会、黒澤組”対“射概玄十郎”の戦争だった。
 そして昨日、ついに射概によって赤橋組の組長が殺害される。
 狩野はプリントの束をめくる手を止める。印刷されている写真は赤橋組の組長とその妻子。
 射概は丁寧にも、赤橋組の組長の妻と、今年高校生になったその息子をそれぞれ、別の場所で殺害。目撃者はいないが、目撃者がいないことが逆に射概の犯行であることを印象付けていた。
 狩野はプリントの束をデスクいっぱいに広げる。
 警察の内部資料によると、赤橋組組長殺害の前日に、射概が赤橋組に忠告に現れた事、その夜に襲われた黄渡瀬組の組員が奪われた銃と、殺人の犯行現場に捨てられていた銃が一致した事が射概の犯行である証拠とされている。
 狩野はデスクに広げられた情報を拾い上げていく。今までの事件の犯行日時、現場、目撃情報。
 狩野は安楽椅子探偵の様に、ゆったりと背もたれに体を預けて腕を組む。

 (なにかひっかかる)


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