ワールドコード :3-27
 完全に出払っていた。ビルの入り口からここまで誰一人として会うことは無かった。

 「あぁ?んだよ。見張りの一人もいねぇのか?」

 狩野恭一は火薬の匂いをお香のように嗅ぎながら、部屋を見渡す。
 部屋の真ん中には椅子に縛り付けられている射概と思わしき人物。そしてそれを取り囲むように配置された数台のビデオカメラ。

 (これなら見張りの必要性もないってわけか)

 狩野は椅子の前に立つと、ナイフを麻袋に突き立て、中身が傷ついても構わないというように乱暴にそれを切り裂いた。
 照明に照らされて目を細める射概を見て狩野は笑う。

 「よう。思ったよりも、傷が少ないな」

 射概は特別、拷問を受けていたわけではないようだ。

 「はっ、いまのとこはな」

 不敵に笑う射概に、狩野は満足げな笑みを返す。

 「元気そうでなによりだ」

 狩野は手際よく射概の縄を切り解いていく。

 「助けに来てくれたのかい?」

 立ち上がって、拘束されていた部分の状態を確かめながら射概は尋ねる。
 そんなわけが無いことは狩野の笑みを見れば誰にでもわかった。

 「拘束されたままじゃ、こないだの借りが返せねぇからなっ!」

 言うが早いか、狩野は射概の頬を拳で打ち抜く。
 とっさに脚をふんばる射概の顎を打ちあげる。射概の脳が揺れた感触が拳に伝わる。

 「どうした?いつでも逃げていいんだぜ?お得意の瞬間移動ってやつでよ!」

 続けて狩野は左脇腹、鳩尾に拳を叩き込む。射概の体が折れ、胃液が口から吐き出される。
 うずくまる射概の胸倉を掴み無理やり立ち上がらせる。

 「逃げられないよなぁ、逃げたくても」

 狩野は射概の胸倉を掴んでいた手を離す。

 「てめぇの能力は人やカメラに観測されてる間は使えねぇ。つまり、今、俺がてめぇを見ている限り、瞬間移動は使えない」

 射概の目が驚愕に見開かれ、棒立ちになる。その顔を、狩野は思い切り殴り抜く。
 拳によって潰された顔から鮮血と白い破片が飛び散り、浮いた体は背中から地面に落ちる。
 背中から肺を叩かれ、射概の口からは空気と血が吐き出される。
 殴り倒され、咳き込むたびに射概の口からは血の滲んだ唾が飛ぶ。
 それを見下ろす狩野の耳に、苦しげに届くその咳は、苦痛を滲ませながらも次第に空咳のような笑い声に変わる。

 「ハハッ、まさかアンちゃんに瞬間移動こいつの種がバレてるとはなぁ」

 射概はよろよろと状態を起こす。もう力が入らなくなっていることは、震えるその手を見ればわかった。

 「そんなら、正攻法でこっから出るしかねぇってわけかい」

 血と涎を流しながらも口の端を上げ、今にも倒れそうに膝を震わせながらも射概は立ち上がる。
 完全に上がらない腕を構えて、射概は床に唾を吐く。
 懸命に立ち上がる主人公を嘲笑う悪役のように、狩野は射概と対峙する。

 「無駄だぜジジイ。俺はあんたを行かせはしねぇ」
 「はっ、最近の若者は諦めが早くていけねぇや、勝ちの見えない勝負でもやってみなきゃわからんさ」

 満身創痍でも目は死なず、意思のこもった射概の目を見て、狩野は溜息をつく。

 「どうして、あんたがそこまで頑張る?言ってしまえば端っから警察に任せりゃよかっただろう」

 狩野の疑問を射概は鼻で笑う。

 「サツなんか信用できるかよ。問題が起きなきゃ動きもしねぇ」
 「そうかよ。それなら、俺に任せてあんたは寝てな」
 「アンちゃんには無理だ。いや、アンちゃんだから無理って訳じゃねぇ。俺以外に落とし前はつけられねぇって話さ」
 「どういうことだ?」

 射概の声色に不吉な予感を感じ取り、狩野は眉を顰める。

 「世の中は広くて狭いなって話さ。黒澤のガキは俺とおんなじ力を持っていやがる」

 それは狩野が予測していたいくつかのパターンの中では最悪の部類の事実だった。

 「はっ。黒澤まで能力者だとはな。それならジイさん、余計にあんたを行かせるわけにはいかねぇな」

 黒澤の能力が射概と同じものならば、その対策を黒澤が用意していないはずがない。

 「あんたを死なせるわけにはいかねぇ」

 狩野は立ちふさがるように射概の前に立つ。

 「どうしたアンちゃん。急に敬老の心に目覚めたのかい?」
 「クソジジイを敬う気持ちなんか欠片もねぇよ。あんたに死なれると色々と面倒なだけさ」

 お互いに乾いた笑いを漏らす。
 射概は狩野の隙をうかがい。
 狩野は射概を逃がさないよう注視する。

 「ぼろ雑巾みてぇなクソジジイが行ってどうする。少ねぇ老い先が無くなるだけだ」
 「残り少ねぇ老い先さ。未練はねぇよ。奴のタマは俺にしかとれねぇ。死ぬとわかっててもやるしかねぇ時があるってことさ」
 「さっきから俺にしかできねぇって、そいつも予言か?」
 「そういうことじゃねぇ、同じ力をもってなけりゃあどうにもならねぇ」
 「俺は今、あんたを捕まえてるぜ」

 狩野の言葉を聞いて射概が苦笑いを漏らす。まるで勘違いしている幼子を見る老爺のように。

 「確かに、人の目がある中じゃ俺の力は使えねぇって気づいたのには驚いた。だけどよ、気づいたからってどうしょうもねぇのさ」

 射概は自らの目を指で示す。

 「人の眼なんてもんは隙だらけさ。スリの上手い奴なんて目の前で財布をスリやがる。瞬きだって一瞬だけど目を瞑っちまう」

 狩野の額に冷や汗が流れる。射概の言うとおり――人間の視線なんて隙だらけだ。意識的には視点や焦点なんてほんの少しの誘導で外れてしまうし、肉体的にも瞬きや、急激な光量の変化で簡単に視界は失われてしまう。
 例えそれが一瞬だとしても射概はその能力を発揮することができるだろう。

 「かくゆう俺も、黒澤のガキに嵌められてこの様さ。怒りで目の前が真っ白になるなんてぇ貴重な経験させてもらったよ」

 しかし、状況は狩野に味方している。黒澤の用意したこの部屋は、さすが同じ能力の持ち主と言うべきか。十分な対策がとられている。

 「はっ、確かに人間の目は隙だらけかもしれねぇが、機械の目はそうはいかねぇ」

 部屋にはビデオカメラが設置されている。射概を決して逃さぬように、機械の瞳が取り囲んでいる。

 「ビデオカメラこいつらに撮られてるうちは、そりゃお手上げさ」

 射概は眼から指を外し、その一台を指差す。まるでタネをばらす奇術師のように――

 「ま、撮られてるうちはな」

 ――不敵に笑う。

 「こいつら全部止まってるぜ」


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