ワールドコード
:3-28
一瞬だった。狩野が無意識に瞬きをした0,1秒の間に射概の姿は消えていた。
瞬きをしたことに気づかなかった狩野にとっては唐突に目の前から消えたようにしか思えなかった。
慌てて狩野は一番近くのビデオカメラを手に取る。確認のために電源を押すとバッテリー切れの表示だけが出されるにすぎなかった。
つい先ほど電源が切れたのだろう。ビデオカメラ本体の熱が手に伝わってくる。
「くそっ!」
狩野はビデオカメラを床に叩きつける。
予測していたパターンの中では最悪だった。
狩野はきびすを返し、ビルの外に向かう。
射概には逃げられてしまったうえに、黒澤が瞬間移動の能力者であるという最悪の展開。
それでも、まだ――最悪なだけだ。
「恭一ぃ、アンタなにやってんだ?」
狩野がビルの外に出ると目の前には一人の女子学生が待ち構えていた。
アップの髪に、着崩した制服。Yシャツは胸元まで開かれ、そこからのぞく肌の上にはタトゥーが踊っている。
綺麗な形をした耳は、痛々しいほどにピアスがつけられ見る影もない。
普段の優等生然とした姿とは正反対の格好で、そこには一条真名が立っていた。
不平、不満、不機嫌、不快と十代の憤りを全て詰め込んだような表情をしている。
「なにやってんだ?って聞いてんだよ。なに真名のことほったらかしにしてんだよ」
普段とはまるで違う挑戦的で好戦的な態度。同じ顔がここまで変わるものなのかというほどに真名は別人の表情を浮かべている。
それを見て狩野は満足そうに笑みを浮かべた。
「あぁ?なに笑ってやがんだ」
怒りを露にする真名の周りの空気が文字通り軋む。
「言ったよなぁ、起こすなって。アタシを呼び出させるなって!アタシが出てくるようなまねしてんじゃねーよ!」
軋んだ空気がひび割れる音が響く。真名を中心にして放射状に地面のアスファルトがめくれ上がる。
異常な光景にも狩野は眉一つ動かさない。この程度の癇癪は慣れたものだ。
狩野の経験からすれば、いきなり腕の骨を砕かれたりしていない分、まだ交渉の余地はある。
「ちょっと、お前の方に用事があったんでな」
「あぁ?って事はわざとアタシを起こしたのか?恭一ぃ、アンタ死にてーらしいな」
真名の整った眉が怒りに歪む。めくれたアスファルトが粉々に砕ける。
「まぁ、落ち着いて話を聞けよ」
狩野は状況を説明する。
現状を聞き終えた真名は心から楽しんでいるように嗜虐的に笑う。
「随分困ってるみたいだが、アタシがアンタを助けると思うかい?」
「俺を助けるとは思わないが、真名を助けないわけにはいかないだろう?」
拒否権のない取引を持ちかけるように狩野は笑う。対照的に真名の顔からは笑みが消える。
「俺たちがヘマると高瀬の野郎が出張ってくる。そしたら間違いなくお前らは奴の管理下に置かれる」
狩野の言葉に、真名は舌打ちする。
「そんなことになったら困るだろ?お前も真名も」
「やっぱり、アンタはいつか殺す。真名が泣こうがわめこうがミンチにしてやる」
狩野は真名の言葉を鼻で笑って、具体的な指示を出す。
「それじゃ、頼んだぜニナ」
そう言って歩き出す狩野に、ニナと呼ばれた真名は不快感もあらわに呼びかける。
「おい、人に任せてどこ行くんだよ」
もっともな質問に、狩野は答える。
「ちょっと行かなきゃならないとこがあるもんでな。ま、野暮用だよ」
「はぁ?野暮用だ?」
狩野は本当に近くのコンビニに行くような気軽さで、ただし、憎悪を滲ませ吐き捨てる。
「ちょっと、黒幕のところさ」
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