ワールドコード
:3-6
私立典上高校。2年C組の教室。
三時限目も終わり、午前中最後の休み時間。
あと一時限さえ過ぎれば、昼休みという事もあり、教室の中は騒がしい。
生徒達は各々仲のいい者達で集まり、昼休みをどう過ごすかなどの相談に興じている。
そんな中、一条真名は自分の机の上に突っ伏していた。
窓際の後から二番目の席。教室の賑やかな空気から真名は孤立していたが、それは自身が望んだ結果だった。
超能力者――一条真名には他人が持ち得ない能力がある。
他人とは異なる能力つまり、異能――真名自身、正確には把握しきれていないそれは度々、彼女を苦しめる。
彼女は五感とは別の感覚で常人よりも広く細かく深いところまで物事を把握することができた。見なくていいことまで観えてしまう。触れなくていいものすらも体感してしまう。気付かなくていいことなのに知ってしまう。それは素晴らしいことなのだろうか。
以前、彼女はその力に振り回されていたが、狩野と出会い『狩野ESP研究所』の所員となってからは訓練によって能力を制御する術を覚えることができた。
確立された技術ではなく、試行錯誤を重ね、未だに完全にとはいえないけれど。
それは例えるなら、見たくないものを見ないように目を瞑るみたいに、能力を“瞑る”事。
しかし、どうにも今日は調子が悪い。
目を瞑っていても瞼を通して光の明滅が感じられるように、能力を“瞑る”ようにしていても、周りの人間の精神の高揚や、声に乗せた感情の波、身振り手振りによって動かされる空気の流れを感じてしまい揺らされてしまう。
(気持ち悪い……)
人酔いを起こしている。真名はゆっくり息を吐いて静かに目を閉じる。
普段は能力を瞑っていれば、ここまで支障をきたす事無く生活することができるのだが、今は時期が悪い。
私立典上高校は現在、中間試験の一週間前、つまりテスト期間に入っている。
そのせいか、ノートを借りに来る者や友達と勉強するために訪れるものなど、普段よりも人の行き来が多く、それに伴い生徒達の精神活動も活発になっている。
まだしばらくは受験ともさほど関係のない二年生であっても、皆それなりに焦燥感やプレッシャーを感じている。それが人それぞれの感情を伴い真名に流れ込んでくる。目を瞑っていても目の前でライトを明滅させられれば目はチカチカするし、いくら耳を塞いでいても大きな音は鼓膜を叩く。
テスト期間なので真名自身も自分の勉強をしなくてはならないのだが、どうにもそんな気分にはなれない。
それどころか。
(むしろ、帰りたい)
真名はこういう時、自身の能力を疎ましく思い、ナーバスになってしまう。と同時に何故、能力を持たない普通の人たちは平気なのだろうかと不安になる。
真名にとっては能力も自分の一部であり重要な感覚器官である。疎ましく思っていてもそれを失うことは、五感の一つを切り落とされる事と同じだ。
真名には人の心の動きや感情の流れ、空気の動きや空間の構成、時間の経過が、そのものとして手に取るようにわかる。しかし、普通の人間にはそれはわからない。それなのに困った様子も無く生活を営んでいて、わかる自分は苦しんでいる。
理不尽で理解不能で妬ましく恨めしい。
何故、自分よりも劣った能力の人間が、自分よりも優れた生き方をできるのか。
『人間はよ、単純で愚鈍だから生きていられるんだよ』
出会った頃、狩野は真名の質問を馬鹿にするようにそう答えた。
ならば私は生きていけないのか。続けて訊いた質問に、狩野は意地悪く瞳を輝かせて凶暴に口の端を釣り上げて笑った。
『なら死ぬか?お前は俺の道具だ。生きていけなかろうが、死なせねぇ』
生きて役に立ってもらう。そう言って質問を切り捨てる狩野を見て、なんて自分勝手な人間だと思った。
しかし、真名を気遣っているわけではない狩野の、嘘偽りの無い言葉そのものを感じて、不思議な事に真名は安心した。
良い事を言っているわけじゃない、善い人間でもない。
自分勝手で我が儘なだけだ。
だけど、真名の力を必要としている。そして、それは真名がずっと求めていたものだ。
狩野は超能力者すら忌避する真名の異能を必要としてる――してくれる。
だから、真名は狩野を信じることにした。
(私が信じるなんて……変な話だ……)
疑うまでも無く嘘がわかり、信じるまでも無く本音がわかる。真名はそれでも狩野を信じることにした。嘘も本当も。全て信じる。
おかげで、狩野恭一と出会ってから真名は振り回されっぱなしではあるが。
真名はほんの少し、頬を緩める。不思議と気持ちが楽になったのを感じる。
(あ、これなら寝れるかも……授業は……まぁ、いいか……どうせわかんないし)
早々に四限目を捨て、休息をとろうとする真名の耳に、ふと教室のざわめきが飛び込んでくる。
さっきまでノートを見せ合っていた真名の前の席の生徒達が、なにやら窓際に集まり、そこから見える校門を指差している。
「ね、ねぇ、あの校門にいる人、何かな?」
「なんか危なそうじゃない?いかにも悪そうで」
「不審者かな?先生に言いに行く?」
不安を滲ませ、口々に言い合っている生徒の声を聞いて真名は、ぼんやりと能力を校門の前に向けた――瞬間。
「ど、どうしたの?」
突然、勢い良く立ち上がった真名に、窓際にいた生徒が、驚いて声を上げた。
そんな生徒に目も向けずに、真名は走り出す。
「一条さん?授業始まりますよ!」
教室を飛び出したところで、四限目担当の教師に声をかけられたが、真名は振り返りもせずに「トイレです!」とだけ叫んで、校門へと全力で走った。
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